Category  |  キリストのように生きる

日常の中で礼拝を

クリスチャン・カンファレンスに行ったときのことです。朝食バイキングの列に並ぶと、後ろの人が「あなたを知ってるわ」と言いました。どこかで会ったのかしらと考えましたが、たぶん人違いだと思いました。

洪水が来た

私はロッキー山脈で有名なアメリカのコロラド州に住んでいます。豪雪地帯ですが、災害を引き起こす最大の脅威は雨です。例えば、避暑地のエステスパーク近郊で1976年7月31日に発生したビッグトンプソン川の洪水です。犠牲者は144名、多くの家畜も失われました。それを契機に、大規模な道路の土木調査が行われました。すると、被害の少なかった道路の側面はコンクリートで固められていました。つまり、強固な土台があったのです。

本当の成功

番組のゲストは丁寧でしたが、インタビューの最中、何となく違和感を覚えました。それが何なのかは、「あなたは何万人もの人に感化を与えました」と、私が言ったときに分かりました。彼は「何百万だけど…」とボソッとつぶやき、自分の複数の肩書や華々しい功績を語り、私の無知をあわれむかのようでした。

飽くなき愛

ハイディとジェフは赴任先から戻り、ミシガン州の実家の近くで冬を過ごすことになりました。赴任先は南国だったので、10人の子どもたちのうちの多くは、美しい雪景色を見るのは初めてです。しかし、その前に冬支度です。コート、手袋、ブーツなど、大家族ですから、大変な出費が見込まれました。しかし、神は備えてくださいました。隣人が、手袋、帽子、履物、そしてスノーパンツを届けてくれました。友人は教会の人々に呼びかけて、家族12人分それぞれのサイズの防寒着を集めてくれました。家族に必要なものは、雪が降り始める前には、すっかり整っていました。

よそ者を愛する

外国に転居して間もない頃、よそ者扱いをされました。夫が礼拝説教をする小さな教会で座っていると、老紳士がじろっと見て「そこをどきなさい」と言ったのです。彼の妻は詫びながらも、自分たちはいつもそこに座っていると説明しました。かなり経ってから、その教会では昔、教会員がお金を払って席を確保し、その賃料を教会財政の足しにしたと知りました。そういう背景で、誰それの席という考え方が長く受け継がれていたのです。

キリストを映す

その少女は快活でしたが、4歳で母を亡くすと、心が不安定になりました。しかし、何年も経ったあるクリスマスイブ、主の降誕を教会で祝った後、恐れから解放されたのです。彼女は、天国を離れた神が、イエスという人になって自分の中に住まわれたので、この変化が起こったと考えました。リジューの聖テレーズと呼ばれる修道女の話です。

自分チェック

最近、第二次世界大戦中に父が母に宛てた手紙を読みました。当時、父は陸軍少尉で北アフリカに駐屯し、軍事機密を守るために兵士の手紙を検閲していました。ウェスト・バージニア州に住んでいた妻への手紙の表に「ジョン・ブラノン少尉によって検閲済み」というハンコが押されていて滑稽でした。何と父は自分の手紙の一部を検閲で削除していたのです。

父に倣って

シカゴのウエスト・サイド地区のノース・ローンデールは1960年代、異なる人種がともに生活できる試験的な街でした。一握りの中流のアフリカ系アメリカ人が家を買いましたが、その契約は、非常に不当なものでした。買い手は月々のローンを支払っても所有権が認められず、一度でも支払いが遅れると、それまでの返済が無かったことになり、家も即、取り上げられるというものだったのです。悪徳業者が値をつり上げ、支払いの遅れた家族を立ち退かせました。そして別の家族が契約し、立ち退かされるという、欲まかせの悪循環が繰り返されました。

やみに輝く光

激しい雷雨の後、私は犬のカリーと夜の散歩に出かけました。遠く知らない町に家族で引っ越して来て直面した数々の問題が、私を悩ませていました。期待に胸を膨らませてきたのに迷路にはまり込んだようでした。乱れる心と重い足取りの私の横で、カリーは草の匂いを嗅いでいます。ふと気づくと、そばを流れる小川のせせらぎが聞こえます。小さな光が土手に咲く野花の上を、ついたり消えたりしながら、飛び交っていました。蛍です。やみの中で点滅する光を見ながら、私は主の平安に包まれていきました。