分け合う
退役軍人で62歳のスティーブはホームレスで、野外でも凍えず眠れる場所を求めて移動する生活をしていました。ある晩、少しでも稼げたらと自作の絵を展示していると、若い女性がピザを差し入れてくれました。スティーブは感謝して受け取り、そばにいた他のホームレスに分けてあげました。彼の分かち合いの姿を見て、同じ女性は、すぐに次のピザを届けました。
アビーの祈り
アビーは、飛行機事故で両親を失い、自らも重傷を負った青年のニュ ースを耳にしました。高校2年生のときのことです。知らない人でしたが、母親が「彼のために祈りましょう」と言ったので、いっしょに祈りました。
どうぞ使ってください
世界中の大都市と同様、パリの街はずれでも、住民が地域のホームレスを支援しています。防水袋に「これは落とし物ではありません。寒い方はどうぞ使ってください」と書いたラベルを貼り付け、暖かい衣類を入れて指定された場所に吊り下げています。このような活動は、家の無い人々に暖を取ってもらうだけでなく、貧しい人を援助することの重要性を地域住民に教えています。
恐れのない愛
私は長い間、自分を守るために「恐れ」を盾にし、それを言い訳に、何かに挑戦したり、夢を追いかけたり、神に従うことを避けていました。何かを失ったり、誰かに嫌われたりする恐れは、神や人と深い関係を築くことを妨げました。それは私を自信のない嫉妬深い妻、心配症で過保護な母親にしました。しかし、神に深く愛されていることを学び続けていくうちに、神とのかかわり方、人とのかかわり方が変わりました。神が面倒を見てくださると信じられると、安心して自分より他人の必要に配慮できるようになりました。
空っぽのベッド
私はレンデルとの再会を楽しみに、ジャマイカの聖ヤコブ子ども病院に来ました。彼は2年前にイエスの愛を知ったのです。一緒に宣教旅行をした聖歌隊の高校生、エヴィが聖書を読んで福音を語ると、レンデルはイエスを自らの救い主だと信じました。しかし、レンデルの病室に行くとベッドは空でした。5日前に亡くなったとのことでした。
ひとりじゃない
友人の作家はインドネシアの牧師たちのために聖書の教本を書く仕事を引き受けました。そしてインドネシアの共生文化を知り、魅了されました。それはゴトン・ロヨンと呼ばれ、相互扶助という意味です。村の橋や道のみならず、個人の家の屋根を修理するときでさえ、近隣の人たちが協力します。都市の生活も同じだと言いました。「例えば医者に行くときも、誰かと一緒です。それが当たり前です。ですから、人は決してひとりぼっちではないのです。」世界中のキリスト者も「決してひとりではない」という喜びを知っています。不断かつ永遠の友は聖霊です。天の御父は、キリスト者を助け、いつまでもともにいるために、三位一体の神の第三位格、聖霊を与えてくださいました(ヨハ14:16)。
拘束されても沈黙しない
それは1963年の夏でした。公民権運動家のファニー・ルー・ヘイマー と6人の黒人客は、夜行バスで移動した後、ミシシッピー州のウイノナで食堂に立ち寄りましたが、警察によって強制的に追い出され、不当に逮捕拘留されました。その上、暴行まで受けました。ファニーは激しい暴行を受けて瀕死の状態になりましたが、突然「パウロとシラスは牢につながれた。わたしの民を行かせなさい」と歌い出しました。すると身体の自由を奪われてもたましいが解放されている仲間たちが、彼女といっしょに神を賛美しました。
石を投げること
リサは不倫をする人に全く同情できませんでした。自身が結婚生活に悩み、危険な罠に抗って必死に闘うようになるまでは…。その経験は、彼女に新たな共感力と「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい」(ヨハ8:7)というみことばを深く理解する力をくれました。
ぎゅっと抱きしめる
溢れんばかりの愛情を詰め込んだ大きなクマのぬいぐるみが孫に贈られました。孫は初めは不思議がり、次には驚き、そして好奇心にかられて手を出しました。ぷっくりした指で鼻をつつくと、クマが腕の中に倒れてきて大喜びし、自分の頭をクマの柔らかい胸に押し当て、ぎゅっ と抱きしめました。ふかふかのぬいぐるみに自分をうずめ、満面の笑みを浮かべました。ぬいぐるみが愛したり喜んだりはできないと、幼子は知りません。それで、無邪気にクマの愛を感じ、自分もクマを愛していました。