Category  |  キリスト、救い主

神に命を救われた

アロン(仮名)は15歳のとき、サタンに祈り始めました。手を組んだと感じたと言います。そして、うそをついたり、家族や友人を操る小細工をしたり、万引きをしたりしました。悪夢でサタンに死ぬと脅されましたが、死にませんでした。アロンは、サタンがうそつきだと振り返ります。

きよめる

洗濯機に丸めて入れた白いタオルの中に、何と青色のボールペンが入っていました。乾燥の工程で破裂し、そこらじゅうにインクが飛び散り、白いタオルは台無しです。どんなに漂白剤を使ってもきれいにならず、あきらめて雑巾にすることにしました。そのとき、罪が与えるダメージを嘆く旧約聖書の預言者エレミヤの言葉が心に浮かびました。

裂けた神殿の幕

それは暗く陰気な日でした。エルサレムの城壁の外の丘で、ひとりの男が荒削りの木の十字架にかけられました。それまでの3年間、群衆を魅了し、熱心な信者を集めた人です。彼を悼んで嘆く人々。真っ暗な昼下がり。「完了した」(マタ27:50、ヨハ19:30)という叫び声とともに、彼は十字架の苦しみから解放されました。まさにその時です。神殿から町中に、もうひとつの音が響き渡りました。神殿の至聖所を隔てる分厚い大きな幕が、奇跡によって上下に真っ二つに裂けたのです(マタ27:51)。

造り主と支え主

スイス人の時計職人のフィリップは、虫眼鏡とピンセットを使ってゼンマイ式時計の細かい部品を分解し、掃除し、そして再び組み立てる工程を説明してくれました。複雑な部品を前に、最も重要な部品であるゼンマイも見せてくれました。ゼンマイはすべての歯車を動かし、時を正確に刻ませる部品です。時計は、どんなに巧みに設計されていても、ゼンマイが無くては動きません。

見えるのは唯一

クリスタは凍てつく湖岸に立ち、雪におおわれた美しい灯台をながめていました。写真を撮ろうとスマホを取り出しましたが、メガネが曇って何も見えません。それで、カメラを灯台に向けて当てずっぽうに3度、シャッターを押しました。しかし後で見ると、自撮りモードになっていたのです。彼女は笑って「自分が中心。見えるのは、唯一自分だけ」と言いました。それを聞いて、私はある失敗について考えました。私たちは、よく自己中心になって、神のご計画の全体像を見失います。

主はどのようなお方か

昨年、私たちはがんで闘病中の3人の女性のために祈りました。神は癒やす力をお持ちだと知っていたので、私も友人たちも毎日祈りました。主が病気を癒やされたケースを知っていたので、今回も同じことが起こると信じていました。回復の兆しを見て喜んだ時期もありましたが、結局、秋には全員が亡くなっていました。この3人は、究極の癒やしを得たと言う人がいます。それは確かにそうです。しかし、私たちは喪失感で深く傷つきました。全員が癒やされて欲しかったのに、なぜか奇跡は起こりませんでした。

イエスの奇跡を見て、自分も何かしてもらおうとついて行った人がいました(ヨハ6:2、26)。自分たちの王が現れたと思った人(ルカ19:37-38)、偉大な教師だと言った人がいました(マタ7:28-29)。一方、イエスはただの大工の息子だとか(マタ13:55-58)、その教えは到底受け入れられないと思って去った人もいました(ヨハ6:66)。

イエスは私たちの願いを必ずかなえてくださるとは限りませんが、私たちの想像をはるかに超えたお方、永遠のいのちの与え主です(ヨハ6:47-48)。イエスは賢く良いお方。愛し、赦し、寄り添い、慰めてくださるお方です。そのイエスの内に憩い、このお方に従っていきましょう。

使者

ある会議に出席しているとスタッフが「伝言です」とメモをくれました。何だろうと緊張しましたが「甥っ子ができた」と書いてあったので、吉報でした。

あがめるべきお方

夫が友だちを教会に誘いました。礼拝の後、その人は「歌も雰囲気も良かったけれど、なぜ君たちがイエスをあれほどあがめるのか理解できない」と言いました。そこで夫は、キリスト教はイエス・キリストと自分との関係についてなので、イエス抜きでは無意味だと説明しました。イエスが私たち一人ひとりの人生に様々に働いてくださったので、私たちは集まり、主をたたえます。

特別な日

ウィリアム・ディーン・ハウエルズの小説『毎日クリスマス』の中では、ある少女の願いが叶い、毎日がクリスマスという散々な一年になります。3日目でお祭り気分は萎え、やがて皆がお菓子にうんざりします。七面鳥が不足して法外な高値で売られ、プレゼントを感謝する人はなく、人々はいらついてきつい口調で話します。