Category  |  従順

普通の人

ウイリアム・ケアリーは英国ノーサンプトンのつましい家庭に生まれた病弱な少年でした。明るい未来が望める境遇ではありませんでしたが、神は、彼の人生にご計画をお持ちでした。ケアリーはさまざまな障害を乗り越えてインドに渡り、目を見張るほどの社会改革を成し遂げ、数種類のインドの言語に聖書を翻訳しました。彼は神と人とを愛し、神のために多くのことを成し遂げました。

ぴったり追従

空軍基地のそばの我が家の上を3機の戦闘機が轟音を響かせて編隊を組んで飛んでいきました。「わぁ!すごい」と夫婦で見上げました。私はあれを見るたびに「あんなにくっついているのに、なぜぶつからないのだろう」と思います。その理由のひとつは、謙遜さだと言います。先頭のパイロットが正確なスピードと軌道で飛んでいると信じ、後続のパイロットは異議を唱えず先頭につづいてぴったり追従します。その結果、強いチームが生まれます。

確かな土台

去年の夏、私たち夫婦は「落水荘」(フォーリン・ウォーター)を見学しました。それはたぐいまれな家です。ペンシルバニア州の田舎にあり、1935年に建築家フランク・ロイド・ライトが設計しました。地面から自然に生えてきたかのように見せたかったそうですが、確かにそう見えました。家は滝に囲まれるように立ち、そばにある岩棚に同化しています。ガイドによると、この家は中心軸が大きな岩の上に立っているので安全だそうです。

運転手は誰?

友人のティムはモーリス・センダックの絵本「かいじゅうたちのいるところ」に登場する怪獣のフィギュア(人形)を車に飾っています。この前、彼の乱暴な運転を目にして、「あれは怪獣の運転かい」と尋ねました。次の日曜日、私は礼拝メッセージを記したノートを忘れて、慌てて家に引き返しましたが、途中でティムと擦れ違いました。そして後から「あれは怪獣の運転かい」とからかわれました。私たちは笑いましたが、彼の質問は的を射ています。私は法定速度を守るべきでした。

道を選ぶ

コロラド州の美しい秋の山景色の中、馬に乗った若者が、どの道を進むか考えている写真があります。それはロバート・フロストの「歩む者のない道」という詩を思い起させます。詩人は、目の前のふたつの道を思案しています。両方とも好ましい雰囲気ですが、今の地点に戻ることはおそらくないので、どちらかを選ばなければなりません。彼は言います。「森の中に分岐した道があった。私は選んだ人が少なそうに見える道を選び、それは後に、大きな違いをもたらした。」

まず神に聞く

結婚して間もない頃、妻の好みが分かりませんでした。週末は空けておいて欲しいのか、それとも、自分の友だちと出かけてよいのか、食事は家でゆっくりしたいのか、お洒落なレストランに行きたいのか、などです。あるとき、いっそのこと聞いてしまおうと、尋ねてみました。すると彼女は微笑みながら「どっちでもいいわよ。私のことを考えてくれただけで嬉しいわ」と言いました。

神の道を歩む

私は幼い息子の肩に手をやりながら「こっちだよ」と言って、雑踏の中、妻と娘の後を歩くように促しました。家族で遊園地に行ったのですが、時間が経つにつれ、ますます息子から目が離せません。疲れてきたせいで、注意が散漫になってきたからです。私は少々うんざりしてきました。そのとき、ふと思ったのです。「これは私の姿ではないか。自分のしたいようにする誘惑に引かれて、神に従う歩みから、すぐにそれてしまわないだろうか。」

岩の上の家

友人が数年前に買った家のリビングが沈み、壁にひびが入り、窓は開かなくなりました。手抜き工事で建て増しされ、土台が無いことが分かりました。土台を敷く数か月間の工事の後、完成した家を訪問すると、壁のひびは消え、窓は開きましたが、見た目に違いはありません。しかし土台が肝心ということは明白です。

神の思いやり

幼い孫たちは、自分で着替えることを楽しんでいます。時にはシャツを後ろ前に着たり、弟の方は、靴を左右逆さに履いたりすることが多いのですが、間違いを指摘することは、私にはできません。孫たちの無邪気さが可愛いのです。