暗闇で賛美
ミッキーは失明しつつありましたが「神を賛美しつづけるつもりだよ。だって、私のために大きなことをしてくださったのだから」と言いました。
小さなこと
友人のグロリアが「息子がパソコンにスピーカーをつけてくれたから、教会に行けるようになったの!」と嬉しそうに電話をかけてきました。というのも、彼女は医者に行く以外には外出できない状況なのです。しかし、これからは、実況放送で教会の礼拝に参加できます。彼女は、神の祝福と息子のプレゼントに大興奮でした。
どんなに辛くても
自宅のある地域が頻繁に停電するので困ります。週に3回もあったり、丸一日復旧せず、辺りが真っ暗だったりすることもあります。家電製品が使えないのも非常に不便です。
感謝の生活
自分の霊性を育て、感謝に溢れた人生を送ることを願って、スーは「感謝の瓶」を始めました。彼女は毎晩、神に感謝することをひとつだけメモ用紙に書いて瓶に入れました。神をたたえることがたくさんある日もあれば、ひとつ探し出すのに苦労する日もありましたが、大晦日、瓶をあけて、それらのメモを読み返しました。すると、神の成してくださったすべてのことに、再び感謝せざるをえませんでした。神は美しい夕暮れや心地良い散歩のような、小さな幸いもくださいましたし、祈りに応えてくださって、困難な状況に対処する導きもくださいました。
私は豊かだ
アメリカのテレビコマーシャルに、玄関のベルが鳴り、出てみると巨額の小切手を渡されるというものがあります。受取人は驚いて、叫んだり、飛び跳ねたり、小躍りしたり、誰かれとなく抱きついたりします。「やったぁ、大金持ちだ!ああ、信じられない。これでみんな解決だ!」一攫千金で爆発する感情は、すさまじいものです。
サンキューゲーム
コーナーストーン大学では、毎年の感謝祭に、おいしいごちそうを振る舞います。学生たちは、このパーティーが大好きです。去年、学生たちはここであるゲームをしました。感謝していることを3秒以内に告げるというゲームです。誰かと同じことを言ったり、時間切れになったりすると、そこから抜けなければなりません。
数えることを学ぶ
息子は1から10まで数を数える練習をしていて、おもちゃから木まで、何でも数えます。私が目も留めないもの、例えば、道端に咲く花や私の足の指も数えます。
砂の楽園
現在のアーチズ国立公園(ユタ州)で夏場に自然保護官を務めたエドワード・アビーは、自分史「砂の楽園」を記しました。その巧みな言葉の選び方と米国南西部の生き生きとした描写は、一読の価値があります。しかしアビーは無神論者だったので、卓越した審美眼を持っていても、自然の美しさを表面的に見ることしかできません。生涯、美を賛美したのに、悲しいことにその核心を見逃していました。
着目する
特別なことがあって家に人が来るとき、掃除するのは憂鬱です。きれいになったところは気づかれず、汚れが取れない所は目立つと思うからです。信仰かつ哲学的な疑問のひとつは、「なぜ人は良いことではなく、悪いことに目を留めがちなのか」です。私たちは、人の親切より無礼を覚えていがちです。慈善より犯罪の方がニュースになります。自然の美しさより自然災害の方が、人の心を捕えます。