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私の全て

教会の音楽には何かが欠けていると感じていた青年アイザック・ウォッツは、もっと良いものを作りなさいと父親に促され、挑戦しました。ウォッツの作品「十字架にかかりし」(聖歌158番)は、英語の賛美歌の傑作と言われ、多くの言語に翻訳されています。

「主の頭、主の手、主の足から悲しみと愛がまざって流れ落ちる、悲しみと愛が出会う、いばらで作られた貴い冠」(原詞訳)という歌詞は、私たちを十字架のもとに導きます。

ここから始めましょう

草地に小さな花がぽつりと咲いていました。イギリスの詩人トマス・グレイが詩で書いたように、私はこの紫の花は、荒野で無駄に咲いていると思いました。この花にわざわざ目を留める人はいないでしょう。それなのになぜ、ここで美しく咲いているのでしょう。

祝うべきお方

イエスの誕生を描いた絵などを見ると、多くの場合、東方の博士たちと羊飼いは同じときに来て、イエスを拝しています。しかし、博士たちの来訪が唯一記されているマタイの福音書を読むと、彼らの到着は少し後だったようです。それによると、イエスはもはや馬小屋の飼葉桶の中ではなく、家におられました。「その家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた」(マタ2:11)と語られているとおりです。

個人的な話

ニューヨークの教会の外に、キリスト降誕を人形で再現した展示がありました。その飼い葉おけの中に、新生児が入れられているのが見つかりました。困窮した母親が赤ちゃんを暖かく包んで、助けてもらえそうな所に置いたのです。彼女を非難することもできますが、この子に生きるチャンスが与えられていたことを、神に感謝したいと思います。というのも、私自身が養子で、自分の出生について何も知らないからです。

賛美で取り囲む

映画にサラウンド音響を導入したのは、ディズニースタジオです。サラウンドとは取り囲むという意味ですが、新しいサウンドを客に提供したいと考えてのことでした。

神の音楽の力

ミュージカル映画史上、最高のヒット作品のひとつといわれる 「サウンド・オブ・ミュージック」は、1965年に公開されました。そして、世界中の人々の心をとらえ、アカデミー賞5部門をはじめとする多くの賞に輝きました。半世紀以上経った今でも、お気に入りの登場人物に扮した衣装を着て集い、映画の場面に合わせて歌う、というような特別上映会が催されています。

主のよくしてくださったこと

まだ満たされていない必要を求めるあまり、今あるものを見過ごしてしまうことがよくあります。教会の聖歌隊が詩篇103篇を基にした賛美をしたとき、そのことを再確認しました。この詩篇は、「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」と呼びかけます(2節)。神は、赦し、いやし、贖い、良いものを与えて、新しくしてくださいます(4-5節)。この真実を忘れることなどできないはずなのに、差し迫った必要や度々の失敗、また、手に余る状況にさらされると、私たちはそのことを忘れがちです。