Category  |  神を信頼する

私の避け所

妻を亡くした後、フレッドは月曜日に仲間と朝食をとることで、悲しみを乗り越えられると思いました。その交わりは楽しかったので、気持ちが落ち込むと、次の集まりを考えるようにしました。その店の角のテーブルは、彼にとって、悲しみから解放される安全な場所でした。

力を新たにする

鷲のつがいが木の上に大きな巣を作りました。やがて、数羽のヒナが生まれ、親鳥たちはかいがいしく子どもたちの世話をしていました。ところが、片方が、車にはねられ死んだのです。残された親鳥は、数日間、死んだパートナーを探すかのように、近くの川を上ったり下ったりしていましたが、最終的には巣に戻り、子育ての全責任を引き受けました。

チョコレートの中に沈む

米国ペンシルベニア州のマースのお菓子工場で、2人の作業員が、巨大なチョコレートタンクの中に落ちました。チョコレート好きがうらやむ笑い話のようですが、彼らは腰までチョコレートに浸かり、自力で動くことができませんでした。ついに救急隊員が出動し、タンクの側面に穴を開けて、彼らを救出しました。

神と格闘

夫の死後、長年の友人から手紙が届きました。「アランは、まるでヤコブ。神と格闘する人でした。今、私がクリスチャンなのは、それによるところが大きいです」。夫は生涯、自分と葛藤し、答えを求めて、神と格闘しました。神を愛する一方で、神が自分を愛し、赦(ゆる)し、祈りを聞かれるという信仰が、揺らぐときがありました。しかし、彼の人生にも祝福はあり、多くの人に良い影響を与えました。

巡礼

信仰はさまざまですが、毎年、世界で2億人以上の人が、巡礼の旅をするといいます。古今東西、巡礼者の目的は、寺や大聖堂などの神聖な場所を訪れ、何らかの祝福を得ることです。

人生の葛藤と深い信仰

土曜の朝のバイブルスタディーに、ある困惑した男性が集っていました。家出娘が戻ってきたのに、彼女の振る舞いのせいで家族の関係がぎくしゃくしていました。別の出席者は、加齢と長患いで不調続きでした。いろいろな病院を訪ね、さまざまな医者に見てもらったのですが、快方に向かうことはなく、落胆していました。その日の聖書箇所は、神の摂理によって、マルコの福音書5章でした。学びが終わると、そこには希望と喜びがありました。

渇望と感謝

死ぬまでにやっておきたいことの一つに挙げていた、グランドキャニオンでのハイキングに、2人の友人と出発しました。しばらくすると、水は十分かしらと不安になりました。そして案の定、道のりはまだ長いのに水が尽きてしまいました。浅い息に祈りが交じりました。しかし、曲がり角を曲がった時、奇跡が起こりました。岩の裂け目に3本の水のボトルが、メモと一緒に押し込まれていました。「これが必要ですよね。どうぞ遠慮なく!」私たちは、信じられないと互いに顔を見合わせ、小声で神に感謝をささげ、渇ききった喉を潤そうと、その水を口に含みました。そして、残りの道を歩みましたが、人生であれほど渇いたことも、感謝したこともありません。

神は召し、備えられる

国際書籍博覧会における担当は、施設内のラジオ放送の監督だと上司に言われ、私は怖くなりました。それは全く経験のない仕事です。私は祈りました。「神よ、そういう仕事の経験は、私にはありません。どうか助けてください」

喜びと知恵

毎年春になると日本中が桜色に染まり、国民や観光客を楽しませてくれます。桜の花は短命です。日本人は、花の命の短さを惜しみつつ、その美しさや香りを楽しむ情趣を育んできました。移ろい行くものを味わうことを、日本人は「もののあわれ」と呼びます。