Category  |  神を信頼する

怖くてたまらない

フェイスブックに「怖くてたまらない」と10代の女の子が投稿しました。彼女はもうすぐ遠い町の病院に入院して検査を受けます。健康状態が非常に悪く、医者がその原因を突きとめてくれることを不安の中で望んでいました。

それは準備かもしれない

高校生の時、ファーストフード店で働きましたが、嫌な仕事がありました。「嫌いなチーズが入っていた」と怒りをぶちまける客に、自分のせいではないのにひたすら謝るというようなことです。2年ほどして辞めると、自分の大学でパソコン入力のバイトをしました。しかし、パソコンの腕ではなく、ファーストフード店での経験を買われて雇われたのです。雇い主の関心は、人扱いがうまく出来るかということでした。嫌な経験は良いバイトを得るために用いられました。

静まる

支援物資を積んだトラックで穴だらけの道を走ると、裸足の子どもたちが見つめていました。突然、塀で囲まれた市長の大邸宅が現れましたが、彼はそこにいません。生活必需品にさえ事欠く市民を気にも留めず、遠い町で贅沢に暮らしているのです。

荒波を越えて行く

急流下りを体験しました。最初は嬉しがっていましたが、急流の轟音が前方から聞こえてくると恐れと不安に襲われました。そしてハラハラ、ドキドキしながら急流を抜けると、突然、静かな流れに出ます。後ろの船頭さんが、うまくいかだを操縦したからです。私はほっと胸をなで下ろしました。次の流れが来るまでは…。

光の無い道

休暇からの帰り道、オレゴン州中部の荒野を通りました。夕暮れどきの2時間余り、私たち家族の車は深い渓谷を抜け砂漠の尾根道を走りました。その間、すれ違う車は20台も無かったでしょう。やがて月が登りましたが、山の峰があるので見えたり見えなかったりします。娘は「神のご臨在と同じね」と言いました。私は「神がおられると見えなくてはいけない?」と尋ねました。すると彼女は「そんなことはないわ。でも見えたら確実に助かるわ」と答えました。

神が思い出を用いられる

喪失や失望の経験は、怒りや罪責感、混乱をもたらします。自分が選択を誤ったために道が閉ざされたり、過失は無いのに悲劇に襲われたりした時、「もし~だったなら」と深く悲しむでしょう。そして、その辛い記憶を押し殺そうとしても、それは不可能だと気づきます。

神への質問

神の使いが突然現れた…。そして、主があなたとともにおられると語りかけた…。それが昔、ギデオンに起こりました。しかしギデオンは「ああ、主よ。もし主が私たちといっしょにおられるなら、なぜこれらのことがみな、私たちに起こったのでしょうか」と述べました(士6:12-13)。なぜ神の民が神に見捨てられたかのような苦境にいるのかと聞いたのです。

朝が来れば

ミュンヘン郊外の田舎町の宿に着いたのは、夜遅くのことでした。小さな部屋にバルコニーがあったので喜びましたが、夜霧の中、外の景色は見えません。しかし、数時間経って日が昇ると霧が晴れて、前夜には見えなかった景色が見えました。それは何とものどかな田園風景でした。青々と茂った牧草地で首に小さなベルを付けた羊たちが草を食み、ふわふわとした大きな羊のような白い雲が青い空に浮かんでいました。

信じて任せる

結婚記念日にロマンチックな冒険を楽しもうと、夫がふたり乗りの自転車を借りてきました。ところが、ふたりでペダルをこぎ始めるとすぐ、私は前が見えないことに気づきました。私の視界は、夫の広い肩幅に遮られています。おまけに私のハンドルは固定されて動かず、私の上半身を支えているだけです。前の自転車のハンドルだけが、方向を操作できるのです。私は選択を迫られました。ハラハラしたりイライラしたりするか、夫を信じて自転車のかじ取りを任せ、この旅を楽しむかです。