鼻が取られた
ブルックリン博物館のエジプト美術の学芸員エドワード・ブライバーグによると、来館者がまず質問するのは、なぜ彫像の鼻が壊されているのか、だそうです。鼻の損傷を経年劣化のせいにはできません。なぜなら、平面に描かれた絵画の鼻もそがれているからです。ブライバーグは、意図的だろうと語ります。侵略者は、偶像の鼻をそいで、エジプトの神々を殺そうとしたのでしょう。鼻を壊して、神々の息の根を止めようとしたのです。
神とともに闘う
米国陸軍のデズモンド・ドスの英雄的な行為は、2016年の映画「ハクソー・リッジ」で描かれました。ドスは人の命を奪うことを神が禁じていると信じていたので、陸軍の衛生兵として、自らの命の危険も顧みず、人命救助に尽くしました。「ドス一等兵は、退くことを拒んで弾丸の降り注ぐ最前線に留まり、多くの負傷兵を一人、また一人と要塞の斜面まで運び出した。…敵の爆撃や機銃掃射に全く怯まず、砲兵将校を支援した」と、1945年10月12日の勲章授与式で称えられました。
私を見て!
孫が「おばあちゃん、見て。妖精の踊りよ!」と山小屋の庭を駆け回りました。その3歳の妹に、「あれは、踊りじゃない。走っているだけ」と、兄はツッコミましたが、家族と一緒の休日を喜ぶ少女の気持ちを削ぐことはできません。
王家の人
シルヴィアは夫婦でスコットランドの舞踏会に行き、英国の女王に会いました。その後、女王一家が訪問を希望されていると言われ、ふさわしく歓迎できるかしらと不安でした。卓上に飾る花を庭で摘んでいても、胸が苦しくなりました。すると、神が語られました。王の王なる神が、いつもともにいるではないかと…。シルヴィアの心は平安になり「要するに、ただ女王さまが来られるというだけなんだから」と思えました。
スラムの歌
南米パラグアイのカテウラはスラムです。人々は貧しく、ゴミ捨て場から拾ってきたもので生計を立てています。ところが、ここから美しいものが誕生しました。オーケストラです。
主の声を知っている
教会の夏季学校に聖書に登場する動物を持ち込むことになり、ケンが手伝いに行くと、羊を担当するように頼まれました。彼は羊の綱を取ると、まるで引きずるように会場に連れていきました。しかし、日が経つにつれ、羊は嫌がらなくなりました。週の終わりには、綱を引く必要さえなく、ただ呼ぶだけで、ケンを信頼してついてきたのです。
より大きなもの
英国サウサンプトンの「オクトーバー・ブックス」の引っ越しを200人以上のボランティアが手伝いました。彼らは列を作って、同じ通りの新しい店まで本をバケツリレーで運びました。店の従業員は「その光景に感動しました。みなさんは、自分より大きな何かにかかわりたいと思ってくださったのです」と語りました。
蜜よりも甘い
その日は皆が万国博覧会に行くだろうと、シカゴの全劇場は閉まっていました。1893年10月、70万人以上が博覧会に集う一方で、ドワイト・ムーディ(1837-1899年)は、町の反対側のホールをキリスト教の教えを聞く人々で埋め尽くそうと考えていました。友人のR.A.トーリー(1856-1928年)は、大丈夫だろうかと心配でした。しかし、神の恵みにより成功したのです。トーリーは後に、ムーディが「この世界が心から知りたいと希求している書、つまり聖書」を知っていたので、人々が集まったのだと結論づけました。そして、多くの人がムーディのように聖書を愛し、心を込めて日々読んで欲しいと思いました。
神の働き
かつての奴隷たちが埋葬されたバージニア州のシェナンドー渓谷に、様々な人種のクリスチャンが集まり、アメリカ合衆国の長年の人種問題が何を意味するのか、手をつないで祈り求めました。すると突然、風が吹き、雨が降り出しました。リーダーが人種間の癒しを祈り求めると、雨はさらに激しくなりました。ビル・ヘイリーの10歳の娘は「神さまが泣いている」とささやきました。人々は、神が赦しと和解のために働いておられると信じました。