旅路を行く力
クリスチャンとして生きることについて教える寓話「恐れのない国へ」は、ハバクク書3章19節に基づいています。羊飼いと旅に出た主人公は、ひどく不安で「自分を担いでください」と羊飼いに頼みます。しかし、羊飼いは「それは簡単ですが、自分で登らないと、雌鹿のように足を鍛えて私の相棒としてついてくることはできませんよ」と答えます。
ミグリオ巡査の心
ミグリオ巡査は家庭内暴力の通報で出動し、処理に半日を費やしました。女の子を救急搬送、交際相手の男を拘束、母親は訳が分からず震えていました。ミグリオはこの事件をしばらく忘れられないでしょう。「君のせいじゃないさ」と上司が慰めてくれても何にもなりません。職場を出ると事件を忘れられる同僚もいますが、ミグリオにはできません。こんなひどい事件はなおさらです。
主の名を呼ぶ
ニューヨーク市のあるエレベーターで、2016年、死者5名、負傷者51名の事故が起こり、当局は、不測の事態に落ち着いて安全を確保する方法を知らせようと啓発活動をしました。事が起こった場合、やってはいけないことは、自分で何とかしようとすることです。最善の行動は「通報し、落ち着いて待つ」ことです。行政当局は、人々を迅速に救済し、彼らが怪我をしないように最善を尽くすと約束しました。
岩の上の家
友人が数年前に買った家のリビングが沈み、壁にひびが入り、窓は開かなくなりました。手抜き工事で建て増しされ、土台が無いことが分かりました。土台を敷く数か月間の工事の後、完成した家を訪問すると、壁のひびは消え、窓は開きましたが、見た目に違いはありません。しかし土台が肝心ということは明白です。
愛されていないかも
私は親に対して、典型的な反抗期を送りました。父は既に亡くなっていたので、母は思春期の娘を育てる荒波をひとりで乗り越えていかなければなりませんでした。母が「ダメ」と言うたびに、私の自由や楽しみを奪うなんて、もしかしたら、愛されていないかも…と思ったことを覚えています。しかし今なら、愛しているからこそ、私にとって益とならないことに「ダメ」と言っていたのだと分かります。
信頼を学ぶ
母はいつも「神を信頼しなさい。面倒を見てくださるから…」と言いましたが、高校生の頃の私は「母さん、そんなに単純じゃないよ。天は自らを助くるものを助くと言うだろう!」と言い返したものです。しかし、聖書には「神は自らを助くるものを助く」という言葉はありません。むしろ、日々の必要を神に頼りなさいと教えます。イエスは言われました。「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも(1時間でも)延ばすことができますか」(マタ6:26-27)。
いつも仕える
教育心理学者ベンジャミン・ブルームが、子どもの才能の引き出し方に関する研究で、アスリート、アーティスト、学者など、120人のエリートの幼少期について調べました。すると、彼らには、集中して練習することを長年続けていたという共通点がありました。
決めつけない
和解について話し合う場で「決めつけてはいけない」と助言されました。私たちは一度の間違いで相手を決めつけ、変わるチャンスを与えない傾向があります。
イエスにお目にかかりたい
ある女性の告別式で説教壇から祈りをささげていると「先生。イエスにお目にかかりたいのですが」(ヨハ12:21)と記した額が目に入りました。今、見送る人の人生に、私たちがイエスを見ていたことを思い出し、何と相応しいみことばかと感動しました。彼女の人生には困難も挫折もありましたが、その信仰は揺らぎませんでした。神の御霊が彼女の内に住んでいたので、私たちは彼女にイエスを見ました。