歩く広告塔
ピート・ピーターソンが初めてベトナムを訪れたのは、ベトナム戦争のときです。1966年、彼の爆撃機は奇襲攻撃の最中に撃ち落とされ、捕虜となりました。それから30年以上が経ちました。ピーターソンはアメリカ大使として、ベトナムに戻ったのです。ある新聞は彼を「歩く和解の広告塔」と評しました。彼は何年も前に、神によって命を救われたのは、怒りに捕らわれて生きるためではない、と気づいていました。このように考えていたので、残りの人生と自分に与えられた地位を用いてベトナムに貢献しようと、児童安全基準の向上に尽力しました。
トゲの例え話
ジェイ・エリオットの動揺した顔が、今でも目に浮かびます。もう50年ぐらい前のことですが、私は蜂の群れに襲われて、彼の家に飛び込んでいきました。そして、家を突き抜けて裏に出ると、蜂はいなくなっていました。つまり、蜂をジェイの家に残してきました。おやっと思うやいなや、今度はジェイが蜂に追われて出てきました。私は10カ所以上刺されましたが、大事には至りませんでした。とばっちりを受けたジェイは、1~2カ所刺されただけでしたが、アレルギー反応が起こりました。目や喉がひどく腫れ上がり、痛みも伴いました。私の行動によって、友人は多大な痛みを被ったのです。
いのちを与える雨
熱波のあった1891年、「起爆家」として知られていたR.G.ダイレンフォースは、絶対に雨を降らせてやろうとテキサス州ミッドランドに降り立ちました。彼は仲間たちと爆発性の気体で膨らませた巨大な風船を放ったり、大砲を打ち上げたり、大量のダイナマイトを爆破させたりして、地と空を爆音で震わせました。少しだが雨が降ったと言う人も幾人かはいましたが、大多数の人は、ただうるさかっただけだと言いました。爆発は音のインパクトこそありましたが、何の効果もありませんでした。
シンプルさには力がある
アメリカで確定申告をする人たちの中で、税収業務の規則について理解しようと時間をかける人はほとんどいませんが、それにはもっともな理由があります。フォーブス誌によると、アメリカの課税者の分類コードが、2013年には400万を超えたそうです。実際、税法はどんどん複雑になっていて、専門家でさえ、すべての規則を正しく当てはめて処理するのは大変です。その複雑さ加減は、まったくもって厄介です。
聖なる、聖なる、 聖なるかな
楽しい時間は、すぐに過ぎていきます。科学的ではありませんが、体験からそのように思うのです。人生がうまくいっていると、時は早く過ぎていきます。好きなことをしていたり、好きな人といっしょにいたりすると、時を忘れてしまいます。
神の道を探す
英仏海峡トンネルは1994年5月6日に開通しました。技師のアルベール・マチューがこのプロジェクトをナポレオンに提案した1802年から、およそ二世紀を経てついに完成しました。イギリス海峡の真下に約50キロメートルの鉄道用トンネルができたことで、多くの人や車、トラックが、列車に乗ってイギリスとフランスの間を行き来するようになりました。この画期的な新しい道ができるまで、人々は何世紀にもわたって船で海峡を往来していました。
正義の親指
アフリカの寓話によると、昔、4本指と親指は手の中で一緒に暮らしていました。5本の指は切っても切れない仲でした。ある日、指たちは自分たちの隣に金の指輪があることに気付き、それを自分たちのものにしようと図りました。親指は指輪を盗むのは間違っていると言いましたが、他の指たちは、親指は独善的で臆病だといって、もう友だちではないと言いました。親指は、それならそれで良いと思いました。彼らの悪さにかかわりたくなかったからです。言い伝えによると、親指はそういうわけで、今も他の4本の指と離れているということです。
壊れても美しい
娘が最近、さまざまな色の「シーグラス」のコレクションを見せてくれました。これは「ビーチグラス」とも呼ばれていて、陶器のかけらのこともありますが、多くの場合は壊れたガラス瓶のかけらです。元々は何らかの用途に用いられていたガラス瓶が、その後捨てられ、壊れてしまったのです。
知るべきこと
フェルナンド・オルテガのオリジナルソング「あるがまま我を」の間奏には、ビリー・グラハム博士の声が収録されています。その中でグラハム博士は、生死をさまよったときのことを振り返ります。自らの過去を思いめぐらし、自分がどれほどひどい罪人であり、どれほど神の赦しを日々必要としていたかを悟りました。