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粘り強い信仰

ジョニー・エレクソン・タダが、友人のリカについて語るとき、彼女の「時の試練を経た深い信仰」や慢性疾患による衰弱と闘う中で培われた忍耐力を強調します。彼女は15年以上も寝たきりで、部屋には小さな高窓しかなく月を見ることさえできませんが、希望を失っていません。神を信頼し、聖書に親しみ、「失望との苛烈な闘いに負けない術を知っている」と言います。

神の主権

キャロルは、なぜこうも一度に起こるのか、と思いました。仕事が大変な中、娘が学校で足を骨折し、自分も感染症にかかりました。「一体、私が何をしたというの?」できることはただ、神の力を求めることでした。

ちょっとした方法で

がんになった時、イエスのもとに行く覚悟はできていたとエルシーは言います。しかし、回復しました。でも、動けなくなったのです。助かった目的は何だろうと思いました。そこで祈りました。「何ができるでしょう。お金も技術もなく、歩くことさえできません。神様、どうすれば、お役に立てるでしょう」と。

痛みによる祝福

その人は猫背でつえをついていました。しかし、長く続いた牧会は、彼が神の力に頼った証しでした。牧師のウィリアム・バーバー2世は、1993年、背骨の椎骨同士が癒合する衰弱性の病気と診断されました。医者は「別の仕事を考えた方がよいのではありませんか。教会は、身障者の牧師を望まないでしょう」とあからさまに言いました。しかし、バーバー師は、そんな侮辱に負けません。神は彼を牧師として用い続けられただけでなく、社会的弱者の力強い代弁者とされました。彼の声は敬意をもって受け取られたのです。

チョコレートの中に沈む

米国ペンシルベニア州のマースのお菓子工場で、2人の作業員が、巨大なチョコレートタンクの中に落ちました。チョコレート好きがうらやむ笑い話のようですが、彼らは腰までチョコレートに浸かり、自力で動くことができませんでした。ついに救急隊員が出動し、タンクの側面に穴を開けて、彼らを救出しました。

人生の葛藤と深い信仰

土曜の朝のバイブルスタディーに、ある困惑した男性が集っていました。家出娘が戻ってきたのに、彼女の振る舞いのせいで家族の関係がぎくしゃくしていました。別の出席者は、加齢と長患いで不調続きでした。いろいろな病院を訪ね、さまざまな医者に見てもらったのですが、快方に向かうことはなく、落胆していました。その日の聖書箇所は、神の摂理によって、マルコの福音書5章でした。学びが終わると、そこには希望と喜びがありました。

限りある人生

ジョン・ハーパー牧師は、1912年4月、氷山に衝突したタイタニック号の乗客でした。彼は救命ボートの席を6歳の娘のために確保した後、救命胴衣を人に譲り、聞く耳を持つ人に福音を伝えました。船が沈没し、数百人が来る宛てのない助けを波間で待っている間、次から次へ人のもとに泳いでいき、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも……救われます」(使16:31)と語りました。

土の上の美

近所の空き地にきれいな畝がいくつもできています。そして小さなつぼみをのぞかせた葉っぱがたくさん植わっていました。翌朝、赤いチューリップの花が開いているのを見て思わず立ち止まりました。

秩序の神

セスは家にあった薬を全部飲みました。崩壊家庭で育った彼の人生は混とんそのものでした。父は自死するまで妻を日常的に虐待していました。セスは人生を終わらせようと思ったのです。しかし、「死んだらどこに行くのだろう」という思いが頭をよぎりました。そして、神のあわれみによって命を取り留め、やがて友人と聖書を学び、イエスを自らの救い主に迎えました。彼が神に引かれた理由の一つは、被造物の美と秩序に気付いたことです。「そこに美があります。誰かがこの全てを造ったのです」と語りました。