イエス印の服を着る
ジェローム・ベティスが大学に進学して実家を出る時、父のジョニーは「君にあげられる物はあまりないが、私には良い評判がある。それを汚してはダメだよ」と賢明な助言をくれました。これは彼の座右の銘になりました。彼は、プロフットボール殿堂入りのスピーチでこの逸話を披露し、最後に自分の息子に向けて「私は良い評判以上に大きな物を君にあげることはできない」と語りました。
悲しみの用語集
ヒューとディーディー夫妻は、我が子を天国に送りました。その時、自分たちのことは何と呼ぶのだろうと思いました。配偶者を亡くした人は寡婦、または寡夫、両親を亡くした子は孤児です。しかし、我が子を亡くした親には呼び名さえなく、虚無感だけが残りました。流産、死産、乳幼児突然死、事故、病気、自死。この世から自分の子どもが奪われたなら、残された親は悲嘆に暮れるだけで、呼び名さえありません。
むなしさの中の喜び
ジェームズ・ウォードは「退屈なものが好き」というブログで知られていますが、2010年、第1回「退屈会議」を開催しました。それは、平凡すぎて見過ごされていることを祝う祭典です。過去には、くしゃみ、自動販売機の音など、一見つまらない主題が取り上げられました。ウォードは、退屈な話題でも、興味深く、意味のある、楽しい講演ができると分かっていました。
太っ腹
新型コロナウイルス感染症の蔓延防止のために、テネシー州が小売店に営業停止命令を出しました。店主たちは、どうやって家賃や従業員の給与を支払い、この危機を乗り切ろうかと悩んでいました。それを知ったナッシュビル近くの教会の牧師は、彼らを助けようと動きました。彼は「町の人が大変な目に遭っているときに、教会が蓄えの上に安住しているわけにはいきません」と語り、近隣の他の教会にも協力してほしいと呼びかけました。
慰めを分かち合う
孫のカルムが訪ねてくると、袖の先にミトンが付いた妙なシャツを着ていました。慢性湿疹のかゆみのために、皮膚を引っかいて傷つけないようにするためです。7ヵ月後、娘も同じような症状に悩まされ、自分もミトンのついたシャツが必要だと言いました。息子の辛さが分かったと語りました。
イエスを伝える
フィリピンのバンワオン族は、ミンダナオ島の山奥でひっそり暮らしていました。物資の調達には危険な山道を2日間歩かなければならず、外部との接触は限られていました。しかし、キリスト教団体が、ヘリコプターという交通手段を提供すると、人々は、必需品、医療支援、そして広い世界へのアクセスを手に入れました。また、イエスを知ることもできました。今日、彼らは、部族の伝統的な音楽に歌詞をつけ、土地の霊ではなく、唯一真の神を賛美しています。飛行という交通手段の提供は、福音を伝える重要な橋渡しになりました。
鐘を鳴らせ
ダーラは、30クールの放射線治療の後の検査で、がんは消滅していると言われました。それで、「解放の鐘」を鳴らしたくてうずうずしていました。治療が終了し、健康になったことを祝って鳴らす、この病院の伝統、「解放の鐘」です。彼女は、この祝賀セレモニーが本当に嬉しく、興奮しすぎて、ベルからロープが外れたほどでした。明るい笑い声がホールに響きました。
感謝の季節
リサは、秋の街は死を連想させるような暗くて陰惨な飾りが多くて嫌だと思いました。何とかしたくて、ささやかな抵抗を決行しました。手始めは、大きなかぼちゃに感謝している事柄を油性マジックで書くことです。一つ目は「おひさま」です。家を訪ねて来た人たちが、それにつづきました。「落書き」などと妙なことを書く人もあれば、「暖かい家」とか「故障していない車」など現実的な人、亡くなった家族の名前を書いて感傷的になる人もいました。かぼちゃの周りは温かい空気に包まれていました。
神の召し
ケイシーは不良少年のリーダーで空き巣や車上荒らし、コンビニ強盗、グループ間の抗争に仲間と共に明け暮れました。逮捕され、服役中も、囚人のボス的存在で問題を起こしました。そして独居房に入れられ、ぼんやりしていた時のことです。自分の人生の出来事が、走馬灯のように脳裏を駆け巡り、十字架に釘付けになったイエスが、彼に話しかけました。「これは君のためだ」。ケイシーは泣き崩れて回心しました。彼がこの経験を刑務所のチャプレンに話すと、チャプレンはイエスについてもっと教えてくれ、聖書もプレゼントしてくれました。