ジェス、パンを焼く
母親が仕事に行く支度を始めたので、4歳の娘ジェスもまた「仕事」に取りかかりました。買ったばかりのコンベヤー式トースターから、食パンがぐるっと回りながらトーストされて出てくる様はジェスをとりこにしました。数分後、テーブルには1斤半分のトーストと、「上手に焼けたでしょう!」と得意げに叫ぶ少女の姿がありました。
好奇心旺盛な女の子が食パンをトーストに変えるのは奇跡ではありませんが、イエスが男の子の5つのパンと2匹の魚を数千人分の食事に変えられたから大変です。丘の中腹にいた群集は、これは奇跡だと騒いでイエスを王にしようとしました(ヨハ6:1-15)。
神の国は当然、この世のものではないので(ヨハ18:36)、イエスはその場を立ち去られました。そして翌日、群集に見つけられると、彼らの不純な動機を指摘して「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです」と言われました(6:26)。彼らは、王なるイエスが自分たちの腹を満たし、ローマから自由にしてくれると勘違いしていました。一方、イエスは、 「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい」と助言されました(27節)。
世俗の考えに縛られていると、イエスを自分の目的を果たす手段のひとつにしてしまいます。しかし、実はイエスは、いのちのパンそのものです。
静かな働き者
細菌に感染すると、1940年代以前ならば、死に至ることさえありました。しかし、ペニシリンの発見は医療を飛躍的に前進させました。ペニシリンは有害な細菌を滅ぼし、数えきれない人命を救いました。ペニシリンの可能性に着目し実用化に貢献した人たちは、1945年にノーベル賞を受賞しました。
手を振る女性
ジョージア州サバンナの港に19世紀の終わりから20世紀はじめに入港した船は、見慣れた人に出迎えられました。「手を振る女性」として知られるフローレンス・マータスです。彼女は44年間、昼はハンカチ、夜はランタンを掲げて、世界各地からやって来る大きな船を迎えました。サバンナのモレル公園には今も、フローレンスと忠犬の像が立ち、入港する船を歓迎しています。
アインシュタインとイエス
アインシュタインといえば、ボサボサの髪、大きな目、機知に富んだ不思議な魅力を思い浮かべますが、それだけではありません。この人は、言うまでもなく、従来の世界観を転換させた天才物理学者です。有名な公式、E=mc2は科学に革命を起こし、核の時代をもたらしました。彼は「特殊相対性理論」で、宇宙の万物は運動しているので、あらゆる認識は観点によって変わると論じました。また、光速だけが、空間と時間、質量の尺度となりうる唯一の定数だと考えました。
またか!
携帯電話にメールが来たので読んでいると、頭に血が上り、腹わたが煮えくり返りそうでした。もう少しでとげのある返信をするところでしたが、ふと、「冷静になって、返信は明日にしなさい」という内なる声が聞こえました。一晩ぐっすりと眠り、翌朝になってみると、あんなにも腹立たしかったことが、大した問題でないように思われました。私が過剰に反応したのは、自分の都合より相手の都合を優先させる気になれなかったからです。人を助けるために、自分が不便な思いをしたくはありませんでした。
イエスの肖像
ロバート・ヘンクスは、『著名なアメリカ女性の肖像画』の中で、「肖像画は写真でも、鏡に映した姿でもない」と書いています。肖像画は外見を写し取るだけでなく、その人の魂の奥底をあぶり出します。本物の肖像画家は、「その人の本質」をとらえようとします。
借方と貸方
夫が地元の大学で会計学を教えていたとき、何点くらい取れるかしらと思って、面白半分で試験を受けてみましたが、結果はさんざんでした。私の答えはみな間違いでした。そもそも、簿記の基本的な概念を正しく理解していなかったからです。借方と貸方を全く取り違えていました。
助けに来ました
ジェイコブ・リースは19世紀のジャーナリストで、当時のニューヨーク市の貧困をまざまざと映し出し、他人事には無関心な一般大衆にその現実を知らしめました。彼の著書「対岸の生活」は、自身の写真と文章で構成されており、その赤裸々な描写は、絶望的なまでの貧困が確かに存在するという現実を一般の人たちに突き付けました。リース自身、15人兄弟の3番目として生まれ、どん底の貧しさを経験したので、真に迫るものを書くことができたのです。
落ち穂拾い
私たち親子はブラウニー(チョコレート味の焼き菓子)が大好きで、料理の傑作のひとつだと思っています。ある日、ボールで材料を混ぜて、それを焼型に注ぎましたが、娘が少しだけ残してくれないかと言いました。彼女はちょっとだけなめたかったのです。私は笑って賛成し、「それは『落ち穂拾い』というのよ。ブラウニーから始まったわけではないけれどね…」と言いました。