Category  |  永遠のいのち

スラムの歌

南米パラグアイのカテウラはスラムです。人々は貧しく、ゴミ捨て場から拾ってきたもので生計を立てています。ところが、ここから美しいものが誕生しました。オーケストラです。

祝宴

友人のシャロンが悲惨な交通事故で亡くなった一年後に、別の友人デイブの10代の娘メリッサが、やはり交通事故で亡くなりました。ある晩、私は彼女たちの夢を見ました。ふたりは広いパーティー会場を飾りつけながら談笑していて、私が部屋に入って来ても知らんぷりです。テーブルには真っ白なテーブルクロスがかけられ、金色の皿とワイングラスが置かれていました。私も手伝いたいと言ったのですが、ふたりには聞こえていないようでした。

天に送る

ホスピスの看護師に父が危篤だと言われました。父は帰ることのない旅に出かけていくのです。彼を看取る時が来たと悟りました。父の最期の日、意識の有る無しは定かではありませんでしたが、姉妹で父のベッドのかたわらに座り、頭にキスをしました。そして、神の約束をささやき、「主のまことはくしきかな」を歌って、詩篇23篇を読みました。そして、愛と感謝を伝えました。父がイエスの元に行きたいと心から願っていると知っていたので、もう逝ってもいいよと言いました。そう発することが、惜別の痛みの始まりでした。数分後、父は永遠のすみかに喜んで迎えられました。

次に来るもの

キング牧師の演説は、1968年4月3日の夜が最後でした。彼は死を予見していたかのようです。「私たちの前途に困難な日々が待っています。でも、今となっては、私にはどうでもよいことです。なぜなら、私は山の頂上に行ったからです。そして見渡しました。約束の地を見たのです。私はみなさんと一緒に行けないかもしれません。…しかし、今夜、私は幸せです。何も心配していません。誰をも恐れてはいません。私の目は、再臨の主の栄光を見ました。」翌日、キング師は暗殺されました。

尊い旅立ち

彫刻家リズ・シェパードの2018年の作品「待つ」について、「人生の尊く超越的なものを喚起させる」と、ボストングローブ紙が評しています。死にゆく父の枕元で過ごした時にインスピレーションを得たという作品は、切なさ、喪失の虚しさ、愛する人に手が届かないというはかなさを伝えようとしています。

誰が勝つか分かっている

私の上司は、ある大学のバスケットボールチームの大ファンです。その大学が全米選手権で優勝したので、部下のひとりがお祝いの メッセージを送りました。ところが、上司は決勝戦のビデオをまだ見ていなかったので、結果が分かってか、拍子抜けだと言いました。しかし、スコアが拮抗しても安心して見ていられるとも言いました。どちらが勝つか分かっていたからです。

すべてが新しい

私は車いじりが好きなので、よく近所の解体屋に出かけます。そこは、過去の自慢のなごりの間を風が音を立てて吹き抜けていくような、わびしい場所です。ねじ曲がったり、用済みになったりした数々の車の間を歩いて、ふと一台に目が留まると、現役時代にはどんな冒険をしたのだろうと思いを馳せたりします。一台一台が過去への入り口であり、語るべき物語があります。逃れられない時の流れと最新モデルに憧れる人々についてです。

イエスにお目にかかりたい

ある女性の告別式で説教壇から祈りをささげていると「先生。イエスにお目にかかりたいのですが」(ヨハ12:21)と記した額が目に入りました。今、見送る人の人生に、私たちがイエスを見ていたことを思い出し、何と相応しいみことばかと感動しました。彼女の人生には困難も挫折もありましたが、その信仰は揺らぎませんでした。神の御霊が彼女の内に住んでいたので、私たちは彼女にイエスを見ました。

天の宝

子どもの頃、私たち姉妹は、ヒマラヤ杉の収納箱の上に並んで座るのが好きでした。その中には、毛糸のセーターや、祖母が刺繍したり、かぎ針で編んだりしたものが保管されていました。ヒマラヤ杉には防虫効果があるので、母は大切なものをその中にしまっていたのです。