Category  |  終末論

王の王の再来

英国の故エリザベス2世の葬儀は、世界で数十億人がテレビを通して見たと推定されています。史上最も視聴された放送だったかもしれません。葬儀の週には、女王の棺を見るために25万の人たちが何時間も行列しました。当日は、100万人がロンドンの通りで彼女を見送りました。各国の王や女王、大統領や国家元首など500人が、高尚な人格と強さで知られた女性に敬意と哀悼を示すためにやって来ました。

墓なんてない

カントリーミュージック界のレジェンド、ジョニー・キャッシュは、死ぬまで音楽を作ると決意していました。最後のアルバム『American VI: Ain't No Grave(墓なんてない)』は、亡くなる数カ月前にレコーディングされました。タイトル曲は、クロード・エリーの賛美歌をジョニーがアレンジしたもので、復活の希望を歌い、聴く人は彼の最期の思いに触れられます。その有名な深みのある歌声は、病のために弱っていたとはいえ、力強く信仰を証ししています。

一つになる

オットー・プレミンジャー監督の1960年の作品『栄光への脱出』は、第2次世界大戦後にパレスチナに入植したユダヤ人の物語で、レオン・ユーリスの小説をもとにしています。ラストシーンでは、ヨーロッパ系ユダヤ人の少女とアラブの男性の双方が殺され、その遺体が間もなくイスラエル国となる地の同じ墓に埋葬されます。この映画は議論を巻き起こしました。これは永久についえた夢、という絶望の比喩、それとも、敵意と憎悪の歴史を持つ民族が、死と生で一緒になるという希望の象徴。どちらでしょう。プレミンジャーは私たちに結論を委ねました。

信じたことに目を向ける

妻が窓の外を指さしながら「ねぇ見て! 信じられない!」と声を上げました。森に沿った我が家のフェンスの向こう側で雌鹿が跳ねていました。フェンスの内側では、我が家の大型犬たちがほえることなく、鹿と平行して走っています。鹿が立ち止まって犬たちの方を向くと、犬も立ち止まり、前足を伸ばしてしゃがみ、腰を落として再び走り出す準備をします。両者は1時間近く、行ったり来たりを繰り返しました。これは捕食者と被食者の行動ではありません。鹿と犬たちは、一緒に楽しく遊んでいたのです。その朝の珍しい光景は、来たるべき神の国をイメージさせました。

見える!

初めて眼鏡をかけた3歳のアンドレアスは、「鏡を見てちょうだい」と言われて、自分の姿をちらりと見た後、満面の笑みを浮かべて父の方を向きました。父は息子の頬を伝う涙をそっと拭いながら「どうしたの?」と尋ねました。息子は父の首に腕を回し、「パパが見える」と。それから頭を後ろに傾けて父の目を見つめました。「パパが見える!」

全ての悲しみ

エミリー・ディキンソンは19世紀の詩人です。「悲しみに出会うといつも比べる。目を凝らして探る。その重さは私のものと同じか、それとも軽いかしらと」と、人が心の傷をどのように背負い続けているかを考えます。すると「刺し通す慰め」をカルバリで見て、自分の傷が救い主の傷に映るのを見ます。彼女はためらいながらも「そう見なすと心が踊る。その傷は、私のものに似ている」と、唯一の慰めに思い至ります。