本当に大切なこと
ふたりの男性が、いっしょに行った出張の成果について話し合っていました。ひとりは、取引先に新しいコンタクトを紹介してもらって、その人たちと有意義な関係を結べたので、この出張は行く価値があったと言いました。もう一人は、「関係作りも良いけれど、売上げが何よりも大切だ」と言いました。ふたりの目的の違いは明らかでした。
唐辛子
サハラ砂漠で過ごした少年時代を振り返って、サムは言いました。「夜寝る前にお母さんが、唐辛子をくれるんだ。辛くて水を飲むと、おなかがふくれるだろう。でも、やっぱり腹ペコだったよ。」サムの父は政変によって亡命を余儀なくされ、残された家族を母がひとりで支えていました。弟は赤血球異常による貧血症でしたが、病院に行くお金はありません。教会に行っていましたが、サムにとっては無意味でした。むしろ、「どうして神さまは僕らをこんな目にあわせるのだろう」と思っていました。
今まさに必要なもの
私は高齢者施設で、高校の合唱部が歌う「やすけさは川のごとく」を聞いていました。この曲は亡くなった娘メリッサの葬儀に使ったもので、それを聴くとたまらなくなります。メリッサの姉、リサはこのクラブの顧問です。父の気持ちを知っているはずなのになぜ…と思っていると、隣にいた男性が身体を傾け、「これは、今まさに私に必要なものです」とささやきました。私は自己紹介をして、その理由を尋ねました。すると彼は、「先週、バイクの事故で息子を亡くしたのです」と言いました。
和解の使節
人種差別が激化する社会への報復心と戦う。これが、1957年のある日曜日、キング牧師が礼拝で語ったことでした。彼は、アラバマ州モンゴメリー市の教会で次のように語りました。「あなたの敵を愛するために何をしますか。自分から始めましょう。敵を打ち負かすチャンスが到来したなら、そのときこそ、そうしてはいけないのです。」キング牧師は「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです」と、イエスのみことばを引用しました(マタ5:44-45)。
喜ぶべきでない
ガーナのアカン族には、「トカゲは、石を投げつける子も、そばで面白がって見ている子も、等しく大嫌い」ということわざがあります。他人の不幸を喜ぶ人は、その不幸の原因を作った人と同じであり、更なる不幸を望んでいる人と同じだといいます。
ガチョウと厄介な人々
今の家に引っ越して間もないころ、私は近くに巣を作っているガチョウの美しさに魅了されました。互いの世話をしたり、一列になって水に入って行ったり、見事なV字隊形を作って空を飛ぶ様子を見て感心しました。彼らの子育てを見るのも楽しみでした。
友をイエスのみもとへ
ポリオは私が子どもの頃、最も恐れられていた病気のひとつで、感染患者の多くが小さな子どもだったために「小児麻痺」とも呼ばれていました。1950年代の中頃に予防ワクチンが開発されるまでは、アメリカ合衆国だけでも毎年、およそ二万人がポリオで身体の自由を奪われ、そのうち千人が死亡しました。
逃したチャンス
今日、なんとも悲しい言葉を聞きました。ふたりのクリスチャンが話し合っていたのですが、彼らの意見は一致していないようでした。年上の方は、次々と繰り出す暗唱聖句を武器に相手の悪い点を指摘しています。若い方の人は、先輩の説教にも、彼の相手をすることにもうんざりしています。そのやりとりも終盤になって、年上のクリスチャンは相手のしらけた態度に、「前は熱心だったのに…。いったい何が気に入らないんだ」と言いました。
貧しい人に心を配る
ロバート・レイクスは1780年、自分の住むロンドンに貧しくて読み書きのできない子どもたちがたくさんいることに道義的な責任を感じ、何とかしようと行動を起こしました。