あふれる思いやり
以前「デイリーブレッド」に、妻マーリンがめまいで苦しんでいることを書きました。すると、冊子が発行されるや否や、まったく予想していなかったことが起こりました。読者の方々から励ましや気遣い、治療法などの書かれたメッセージが、次々と寄せられました。世界各国のさまざまな人たちが、妻の健康を気遣ってくださったのです。私の妻に対する愛と思いやりが大波のように押し寄せ、私たちはただただ圧倒されるばかりでした。キリストのからだがマーリンの苦しみに応えてくれるのを、この目で見ることができたのですから。全員にお返事はできませんでしたが、今も心から感謝しています。
理想の人生
毎年オースチンで開催されるテキサス・ブックフェスティバルは、何万人もの観客を動員します。そこでは、本を見て回ったり、著名な作家を囲んでの討論会に参加したり、プロの作家から文筆のアドバイスを受けたりすることができます。ある若者向けフィクション作家が、作家志望の人たちに言いました。「みんなに読んでほしいと思う本を書きなさい。」
誰でも歓迎
市街地の再生整備計画の一環で、1930年代に建てられた教会の取り壊しが決まりました。人のいない教会堂の窓が取りはずされ、ブルドーザーが来て壁に穴を開けました。こうして会堂の解体は始まりましたが、いくつかの扉はしばらく残されたままでした。その上には「立入禁止!」の文字が、オレンジ色の蛍光ペンキで大きく書かれていました。
田舎の医者
シンクレア・ルイスの小説「本町通り」は、田舎の開業医と結婚した洗練された都会の女性、キャロルの物語です。彼女は、新しく暮らすことになった小さな町で、自分はみんなより優れているとお高く止まっていました。しかし、重症の患者に対応する夫の姿を見て、自分の間違いを示されます。それは移民の小作農が大怪我をして運びこまれ、腕を切断しなければならないというときでした。キャロルは、患者と取り乱している患者の妻を優しく励ます夫の姿を見て、心から彼を尊敬しました。暖かく真摯に人に仕える医師の姿は、プライドに凝り固まったキャロルの心に衝撃を与えました。
見せて伝える
文章教室や文筆家たちの会議に参加すると、「見せなさい。説明ではダメだ」と必ず言われます。これはつまり、起こった事柄を説明するのではなく、読者自身が現場にいて自分で見ているかのように感じさせなければならないということです。伝える側は、やっていることを描写するのであって、説明するのではありません。
人とうまくやる
私は人付き合いの良いほうです。特に、気の合う人たちと一緒にいるのは嬉しいものです。しかし、好きな人たちとだけ付き合っている訳にはいきません。中にはとげのある人もいます。「人というものを知れば知るほど、ペットの犬が好きになる」という皮肉も分からないわけではありません。そんな私たちは、人間関係がうまくいかないと相手の責任にする傾向があります。
使徒パウロは、クリスチャン同士がうまく付き合うことについて述べています。「…一致を保ち…」、「…他の人のことも顧みなさい」、「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです」と教えています(ピリ2:2-5)。
考えてもみてください。イエスは私たちのために、ご自分の立場や特権を捨てられました。しもべとして生きて、ご自分のいのちを犠牲にすることを選ばれました。神と人の関係を喜びに溢れたものにするために、そうしてくださいました(ヘブ12:2)。私たちがどうしようもない存在であったにもかかわらず、そうしてくださったのです(ロマ5:8)。
ですから、付き合いにくい人と一緒に何かをすることになったら、その人に愛を示すことができるように助けてください、と祈りましょう。そうすれば、主があなたの対人関係に対する態度を少しずつ変えてくださり、いずれは驚くほどになるでしょう。
親切な言葉
友人のスコットは、仲睦まじい妻の両親を心から尊敬していたので、ある日、幸せな結婚生活の秘訣をふたりに尋ねました。すると義父のケンは、「お互いをいたわり続けることだよ」と答えたそうです。また別の友人は、私たち夫婦(その他の夫婦にも)に送る手紙の結びにいつも、「お互いに相手を大切にすることを忘れないでね」と書きます。
私が発明した
カナダ人のウィラードS.ボイル氏は、デジタルカメラやハッブル望遠鏡に組み込まれた電子センサーの共同発明者で、ノーベル物理学賞を受賞しました。あるとき、彼は新しいデジタルカメラを購入しようと、ノバスコシア州ハリファックスの、とあるカメラ店に行きました。カメラ店の販売員はボイル氏にカメラの精密さを説明しようとしましたが、途中でやめてしまいました。
時代の精神
どの時代にも「時代の精神」といえる固有の考え方や価値観があり、社会はその影響を受けています。これは、だんだんとみんなに受け入れられていき、倫理的な違和感がなくなり、ついには、流行の価値観として人々に容認されるようになります。