何の関わりがありますか
幼いめいが「あの子はぶどう味のあめなのに、どうして私はいちご味なの?」と尋ねました。子どもは自分のもらった物と他人のもらった物を比較しがちです。それをずっと前におい、めいから学び、彼らを溺愛する叔母として、適切な判断をしなければと考えています。
スナック菓子の教訓
ドミニカ共和国に派遣された米国人宣教師が、スナック菓子を通して大きな教訓を学びました。教会の委員会の席で、ポテトチップスの袋を開けると、周囲の人が次々に手を伸ばしました。他人の食べ物に手を伸ばすとはずいぶん失礼だと思いましたが、実は、自分が仕え始めた人々の文化を理解していなかったのです。米国では個人主義を良しとしますが、ドミニカ共和国の人たちは共同体を強調します。食べ物や持ち物を分かち合うことは、関係作りの一環です。彼女の礼儀作法は、現地の実情と違っていたのです。彼女は、この発見で謙虚に内省したと語ります。自分には偏った考えがあると気付き、へりくだって自分のものをみんなで分かち合うなら、現地の人により仕えられると分かったと言います。
心を知るお方
前の客が会計を終えたので、そのセルフレジに行って会計を始めました。するといきなり怒られました。私はその人がレジに並んでいたことに気付かなかったのです。自分のミスですから、即座に謝りました。ところが彼女は、わざとやったと私をののしったのです。
重要なこと
友人は、クリスチャンの同僚から政治について何度も聞かれたといいます。社会を分断している問題について、彼女の立場を知りたかったのでしょう。しかし、彼女は「私たちはキリスト者なのだから、むしろキリストにある一致に目を向けましょう」と答えました。
いらぬ口出しをしない
以前、息子のジョシュと山道を登っていると、土埃が舞い上がっているのが見えました。ゆっくり近づいていくと、アナグマが土手で熱心に穴を掘っていました。頭と肩は穴の中。前足で掘り、後ろ足で土を蹴り出しています。夢中で働いていたためか、私たちに気づきません。私は好奇心に駆られ、落ちていた棒切れを拾って、アナグマの背中を突っつきました。怪我をさせるほど強く突きはしなかったのですが、アナグマは飛びあがり、こちらに向かって突進して来ました。私たちは、世界記録を出すかのような速さで必死に逃げました。
さばいてはいけません
◆ 詩篇16-17
◆ 使徒20:1-16
さばいてはいけません。さばかれないためです。―マタイ7:1
イエスの「さばいてはいけません」(マタ7:1)という命令は、分別を働かせたり、間違いを認識したりするのは良くないという意味ではありません。私たちは、間違いや不正行為がたびたび起こる世界に暮らしているので、ものごとは当然、批判や分析を交えて考えていかなければなりません。イエスが言われたのは、決めつけたり、切って捨てたりすべきでないということなのです。パウロはこの教えを「あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます」(Ⅰコリ4:5)と、説得力ある言葉で言い表しています。