傷口に塩
ラジオの黄金時代、フレッド・アレン(1894年〜1956年)は、世界恐慌や戦時下で、悲観主義を笑いにして人々を和ませました。彼のユーモアのセンスは辛い生い立ちに培われたものです。母親を3歳になる前に亡くし、依存症の父親からも引き離されました。交通量の多いニューヨークの通りでひとりの少年を助けて、「君、一体どうしたんだ。大きくなって大人の苦労ってものを味わってみたくないのかい?」と言ったという話は有名です。
すべてに勝る神
クリスチャンになったと伝えると、クリスチャンに傷つけられた過去を持つ母は怒って、「今度はあなたが私をさばくの。それはごめんこうむるわ」と言って電話を切り、一年間、口をきいてくれませんでした。とても辛かったのですが、神との関係が何より大切だと思い直しました。そして、母に電話を切られるたびに、彼女を愛せるように、また彼女のために祈りました。やがて母は和らぎ、その数ヵ月後、「あなたは変わったわ。私もイエスのことを知りたい」と言いました。まもなく母はキリストを信じ、神と人々を愛する余生を送りました。
誰を守っていますか
前に出て文法を説明しなさいと先生に言われて、キャスリンはうろたえました。彼女は転校生で、前の学校ではまだ、その文法は習っていません。クラスのみんなは彼女をバカにして笑いましたが、先生は即座に、「君はすぐに、他の誰よりも上手に文章を書くようになるよ」と言ってかばってくれました。彼女は、その時のことを感謝しつつ思い出します。その日以来、キャスリンは先生の期待に応えようと全力で良い文章を書きました。やがてキャスリン・パーカーはジャーナリストとなり、ピューリッツァー賞を受賞しました。
一度しか死ねない
奴隷の子として生まれ虐待された少女、ハリエット・タブマン(1822-1913)は、母が語った聖書物語に希望を見いだしました。イスラエル人が奴隷から解放された話から、神のみこころは、ご自分の民が自由になることだと教えてくれました。やがて、ハリエットは逃亡して自由州に逃げ込み、奴隷ではなくなりました。しかし彼女は、それだけでは不満でした。依然、多くの人たちが奴隷だったからです。彼女は、逃亡奴隷を助ける危険な運動を指揮しました。「一度しか死ねないのだから」と言っていたそうです。
第一印象
スーパーで買い物をしたときのことです。店員には万引き犯と間違えられ、客には英雄と間違えられました。
イエスの目
子どもたちとアイスクリーム店で並んでいたとき、顔に傷のあるこわ面の人に気づきました。服は汚れてはいませんが、しわくちゃです。私は、その人と子どもたちの間に壁を作るように立ちました。話しかけられたときも、よく聞き取らず、目を合わせることもなく、少しうなずいただけでした。ところが、妻が一緒ではなかったので、その人は私たちを父子家庭だと思ったようです。「ひとりで子育てするのは大変だね」と言いました。私はその優しい口調に、思わず彼を見つめました。すると、彼も子ども連れなのに気づきました。そして、彼が妻を亡くしてどれほどになるかなどという話を聞きました。優しい話ぶりは、こわそうな外見とは対照的でした。
まさにガツンとやられました。また外見で判断してしまいました。イエスは、人を寄せつけないような外見の人と出会われました。今日の聖書のみことば(マコ5:1-20)の悪霊につかれた男性もそのひとりです。ところが、イエスはこの人を避けるどころか、彼の必要を満たされました。
私たちには罪の傷跡や、しわくちゃの品性(誠実になろうとしても、途中でつっかえてしまうので)があります。にもかかわらず、イエスは常に愛の目を注いでくださいます。私たちも心の中で人を見下したりせず、イエスの愛で人を愛すことができるように、主に助けていただきましょう。
疑わしきは罰せず
◆ Ⅱ列王記13-14
◆ ヨハネ2
[愛は]すべてをかまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。―Ⅰコリント13:7
トーマス・インマン医師は1860年、効き目が確かでないなら、その薬は処方しないほうがよいと提言しました。つまり、患者は医師の疑念によって益を受けるべきだと言ったのです。このときに使われた英語のフレーズ(benefit of our doubts)は「疑わしきは罰せず」という刑事訴訟の原則を表すためにも用いられています。裁判官もしくは裁判員が、被告の犯罪事実の存否について確信に達しない場合は、無罪判決を言い渡さなければならないというものです。