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主を求めて生きる

消息不明のタイラーの遺骨が家族のもとに届きました。弱冠22歳。薬物の過剰摂取によって死亡したようでした。タイラーは人生の選択を誤り、薬物依存に長く悩まされていました。既に薬物更生施設に入所し、回復プログラムを修了していたというのに……。ところが、衝撃の事実が発覚しました。タイラーは生きていたのです。過剰摂取で死亡したのは別の若い男性でした。タイラーは家族と再会しました。そして、亡くなった人について、「自分もああなっていたかもしれない」と言いました。

祖母の最後の夜

日曜礼拝に着ていく服を一式そろえて寝る、というのが、土曜日の夜の祖母の習慣でした。早朝礼拝に出席していたので、すぐに出かけられるように準備していたのです。しかし、ある土曜日の夜、彼女は急病で入院し、そのまま天に召されました。祖父が病院から戻ると、祖母がそろえた服がありました。教会に行く準備も、神に会う準備も完了していたのです。

曾祖母の祈り

久しぶりに家族が集まった時、母は自分が記した文章を見せてくれました。それは彼女の祖母スーザンをたたえる内容でした。「おばあちゃん」は、母の話に度々登場します。スーザンは「夜明け前」に起きて一家のために祈っていました。その鮮明な思い出は、母の生き方に大きな影響を与えました。また今日、彼女に会ったことのない私の心さえも支えています。

キリストにおいて一つ

アフリカ系米国人として初めて詩集を出したフィリス・ホイートリーは、聖書に基づき奴隷制廃止を訴えました。1753年頃、西アフリカで生まれ、7歳で奴隷に売られましたが、文才を周囲に認めさせ、1773年に自由を獲得しました。そして万民の平等という聖書の教えを受け入れるように、詩や書簡で、読者に迫りました。「神は全人類に人としての本質を植えられ、それは自由に対する愛と呼ばれる。抑圧を許容せず救出せしめんと熱望すること……その本質が、私たちの内にもある」と書きました。

与える心

サッカーのスター選手、サディオ・マネがイングランドのプレミアリーグ、リバプールでプレーしていた時のことです。年俸数十億円のマネが、画面にひびの入ったiPhoneを使っていました。それを写真で見た人たちがジョークの種にしましたが、マネは冷静に対応しました。「どうしてフェラーリ10台、ダイヤモンドの時計20個、ジェット機2機を欲しがらなくてはいけないんだ。僕は昔、お腹を空かせていた。畑で働き、裸足で練習した。学校にも行けなかった。でも今は、人を助けることができる。学校を建て、貧しい人たちに食べ物や着る物を贈ることを望むよ。……僕に与えられたものを使ってね」。マネは、母国では大勢の人たちが劣悪な環境にいるというのに、自分の稼ぎをため込むことが、いかに自分勝手か分かっていました。ヘブライ人への手紙を読むと、マネのような姿勢は、裕福な人だけでなく皆のものであるべきだと分かります。著者は「善い行いと施しとを忘れないでください。このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです」と記しました(ヘブ13:16)。気前の良さは正しいだけでなく、神を笑顔にすると語っているのです。神を喜ばせたくない人がいるでしょうか。

常に準備を

ベティは10代でイエスを信じ、主に仕え、主を喜ばせようと最善を尽くしてきました。教会の礼拝、祈祷会、聖研に出席し、日曜学校で教え、開拓中の教会を訪問し奉仕しました。牧師の妻となると、夫婦で主と教会の人たちに仕え、機会を捉えてさまざまなキリスト者と交わりました。102歳になった今も、神を喜ばせるためなら何でもするつもりです。クリスチャンの集まりに気乗りしない人たちも、高齢のベティが行くなら自分も行こうと思うそうです。そんなベティは、天国で救い主に会う日が待ちきれません。「主に会う準備はできています。主を愛していますから」と語ります。

全ての言語で

アテネ中心部のある教会で、神の愛が母国の人々に届くように、仏語、独語、スロバキア語、ギリシャ語、英語など、さまざまな言語で祈りがささげられました。ペンテコステ当日だったこともあり感動はひとしおでした。

それは恐ろしい

ユダヤ人の哲学者イェフダ・ハレヴィが千年以上前に書いた詩が、20世紀に翻訳されました。「それは恐ろしいこと 死が触れるものを愛することは」と始まり、その恐れの裏にあるものも「愛すること……そしてああ、失うこと」と明示しています。

神の偉大な力

ひどい吹雪であちこちで送電線が切れ、町の大部分が停電しました。多くの家庭では灯りが消え、暖房機器が使えず、極寒の中、電力の復旧を待っていました。後日、町の教会の駐車場が復旧作業指令基地になり、各地へ作業車が送り出されて作業にあたったと知りました。