クリスマス の氾濫
私はクリスマスが大好きです。キリストの誕生をお祝いしたり、この季節独特の雰囲気を楽しんだり。私にとってクリスマスは、一年で最も素晴らしい季節でした。ところが、近年は苛立ちを感じることが出てきました。その理由は、毎年、クリスマスに関するあれこれがどんどん早く始まり、秋が来るやいなや、というところまでにじり寄っていることです。
クリスティングル
チェコ共和国などの国々では、「クリスティングル」を立ててクリスマスを祝います。「クリスティングル」とはオレンジの真ん中にろうそくを立てたものですが、オレンジは世界、ろうそくはキリストを象徴しています。オレンジには赤いリボンが巻かれていて、それはキリストの血潮を表しています。また、4本の爪楊枝にドライフルーツが付けられ、リボンの上からオレンジに刺されていますが、これは大地の実を表します。
ある静かな夜
サイモンは、オランダからアメリカに移民して米国生まれのケイと結婚し、二男一女をもうけました。その後、長女はパナマ人、長男はポルトガル人、次男は韓国人と結婚しました。
クリスマスの奇跡
神学大学院で最初の学期を終えたとき、クリスマス休暇を実家で過ごすための航空券をもらいました。ところが出発の前日、所持金は20ドルにも満たないことに気づきました。空港までの交通費や雑費など、どう考えても20ドルでは足りません。私たち夫婦は途方に暮れながらも祈ることにしました。当時、子どもたちはまだ幼かったのですが(6歳と2歳)、祈りに加わらせることにしました。
光と影
美術史研究家のシーモア・スライヴは、オランダの偉大な画家レンブラント(1606-1669)を光と影の画家と評しました。キャンバスの上に繰り広げられる物語は、人の心をわしづかみにするといいます。彼の作品「羊飼いの礼拝」には、ベツレヘムの薄暗い馬小屋の様子が描かれています。飼い葉おけの脇でふたりの羊飼いがひざまずいていますが、離れて立っている人たちもいます。ひとりの男性は手提げランプを持っていますが、明るく輝く光はそこからではなく、キリストである赤ん坊から放たれて、そばに来た人々を照らしています。
御子が与えられる
ヘンデルのオラトリオ「メサイア」で好きな部分は、第1部の「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる」という喜びに満ちた部分です。特に「わたしたちは御子をさずかるのだ」と合唱が盛り上がっていくところが大好きです。この歌詞はもちろん、イザヤ書9章6節の「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる」から引用されています。ヘンデルの荘厳な音楽は、人の姿になって最初のクリスマスに来てくださった御子を敬愛し、感謝して、天に向かって上っていきます。
取消されたクリスマス
去年は、クリスマスがキャンセルされたようでした。私たちは、ミズーリ州の実家に帰るはずでしたが、降雪で乗り継ぎの飛行機が欠航になりました。ここ何年も、親族がそろってクリスマスを祝うことが慣例でしたから、ミネソタ州まで飛びながら、ミシガン州の家に逆戻りしなければいけなかったときは、本当にがっかりしました。
極度の恐れ
子ども聖歌隊は何週間も練習をして、ついに恒例のクリスマスミュージカルの本番を迎えました。衣装を着た子どもたちが礼拝堂に入場してきました。そのときです。後方のドアのあたりで大声が聞こえました。私たち夫婦が振り向くと、恐怖で顔を引きつらせた息子のマットが叫んでいました。1983年のことです。まだ幼かった彼は、必死でドアの取っ手につかまり、怯えきった表情で泣いていました。彼はステージに上がりたくなかったのです。かなり説得しましたが、ダメでした。ついに日曜学校の教師は、ステージに上がらなくてもいいと言い、息子は私たちの隣に座りました。しばらくすると、彼の恐怖感は収まりました。
クリスマスの光
毎年12月になると、近隣の13軒が協力して、30万個の電球でクリスマスイルミネーションをするところがあります。点滅する色とりどりの灯りとそれに合わせて流れる音楽を楽しもうと、遠くから車で来て何時間も行列する人たちがいます。この光と音のショーはとても精巧にできていて、64台のコンピューターを駆使して美しく調和した動きを作り出しています。