盗まれた宝物
トールキンの『ホビットの冒険』は、盗まれた宝物を奪回するために、小人たちが「スマウグ」という獰猛(どうもう)な竜に立ち向かうという話です。恐ろしく危険なミッションであるにもかかわらず、小人の副司令官バーリンはリーダー「トーリン」に対する絶大な信頼を「彼こそが私が従うことのできる人、王と呼ぶことのできる人」と言い表しました。リーダーに対する信頼が、この任務にすべてをささげようという堅い決意を生み出しました。
イエスについて話す
引退したメジャーリーガーであるトニー・グラッファニーノは現在、ヨーロッパで宣教活動をしています。毎年、彼の宣教団体は1週間のベースボール・キャンプを開催し、その間、毎日聖書の勉強会を行います。主事はキャンプ参加者に、神がおられることを論理的に説明し、神を信じましょうと勧めてきました。このようなことを約13年間してきましたが、救われた人はたった3人でした。
問いつめられる
アメリカの南北戦争で北軍将校だったルー・ウォーレスは戦後、列車の中でかつての同僚、ロバート・インガーソルに会いました。ウォーレスはクリスチャンでしたが、インガソールは不可知論者として有名でした。ふたりの会話が信仰のことになったとき、ウォーレスは、インガソールの投げかける問いや疑いに自分は答えられないことを悟りました。そして、自分の信仰についてよく分かっていないことを恥じて、答えを見つけるために懸命に聖書を調べました。その結果が、あの有名な歴史小説「ベン・ハー:キリストの物語」です。彼はこの物語の中で、イエスが救い主であることを確信を持って告白しています。
親切な行い
友だちと旅行をしているとき、道路脇に立ち往生している家族に出くわしました。友人たちはすぐに車を寄せてその家族を助け、車のエンジンがかかるようにし、その夫婦と話をしてガソリン代を手渡しました。何度もお礼を言う妻に対して彼らは、「お役に立ててうれしいです。イエスの御名によってしたことです」と答え、その場を立ち去りました。彼らが困っている人を助け、カンパまでして、親切の源はイエスだと当然のように言う姿は、何とも印象的でした。
優しくイエスを証する
何年も昔のこと、橋から約12メートル下に落下する事故に遭い、命にかかわるけがをして入院しました。そのとき、同室の患者の奥さんが言いました。「あなたの事故のことを主人から聞きました。神があなたの命を救ったのは、あなたをお用いになりたいからだと信じます。私たちはあなたのために祈っています。」
山上で語る
ある全国紙が、コロラド州のスキー場で毎週キリストを礼拝している十代のスノーボード愛好家の記事を掲載しているのを見て、とても驚きました。『サミット・デイリー・ニュース』紙のキンバリー・ニコレッティ記者は、このティーンエージャーたちの話を伝えて、多くの人の心をつかみました。彼らはスノーボードが大好きです。また、イエスがどのように自分たちの人生を変えてくれたかについて話すのも大好きでした。その陰には、彼らを応援し、どのように神の愛を表せばよいかを教えるユースの伝道団体の存在がありました。
待っています
エガートン・ライアソン・ヤングは、1700年代にカナダのソルトー族に福音を伝えた宣教師です。ソルトー族の高齢の族長は、この年になるまで聞いたこともなかったキリストの福音を伝えてくれてありがたいと言いました。そして、神がヤングの天の御父であると聞いたので、「そういうことなら、そのお方は私の父でもあるということなのかね」と尋ねました。ヤング宣教師が「はい」と答えると、群がっていた村の人たちが歓声を上げました。
盗作
大学で作文の授業を担当したときは、授業中にも文章を書かせるようにします。学生が授業中に書いた文章は、その人自身の作品です。そこから、一人ひとりの学生の「書く声」を分かっていくので、もし他人の作品からの「借用」がいささか過ぎるなら、私はすぐに気づくことができます。学生たちは、作品の内容や表現などは「書く声」であり、自分の肉声と同じように自分独特のものだということを知ると驚きます。口から出る言葉がその人の心を映すように、書く内容や表現の仕方も、その人を映し出します。私たちが書く文章は、私たちの人格を表します。
証人になる
十代のとき、交通事故の目撃者になりました。事故を目撃したことは、その後に体験したことと相まって、衝撃的な思い出です。私はその後の数ヶ月間、事故の唯一の証人として、何人もの弁護士や保険査定員に自分の見たことを話すように求められました。私の役目は、破壊状況を物理学的に説明することでも、医学的外傷を詳細に述べることでもありません。私はただ自分の見たことをそのまま話すのです。