Category  |  イエスを証する

取るに足りない

有力者や実力者といわれる人は成功の階段を上っている人で、周りの人を動かす影響力を持っています。ルカの福音書3章には、当時の社会を支配していた7人の実力者が登場します。まず、皇帝テベリオ・カエサルは、広大なローマ帝国に暮らす人々の生死を手中に収めていた人です。ポンテオ・ピラトは、ローマ帝国の権威をユダヤ全土に示す総督でした。ヘロデ、ピリポ、そしてルサニヤは、それぞれの所轄地域の人々を治めていました。アンナスとカヤパは大祭司で、自分の持つ宗教的権威をよく分かっていました。

夜空を照らす

穏やかな秋の日が暮れて、夜のとばりが降りた満月の夜。5万人を超える人たちが川べりに集まって、天灯(てんとう)を飛ばすというイベントが、私たちの住むグランドラピッズ市で行われました。人々は、ともしびを入れた天灯を真っ暗な夜空に放ちました。すると、いくつもの光がまばゆく輝きながら昇っていき、満月に吸い込まれていくようです。多くの人たちは、夜空に輝く芸術をながめていました。

影響力のある人

グーグルで「影響力のある人」と検索したら、「世界で最も影響力のある人」という項目のさまざまなリストが出てくるでしょう。そして、この種のリストには通常、政治家、起業家、スポーツ選手、科学や芸術方面の著名人、芸能人が名を連ねています。この人たちのために料理を作ったり、掃除をしたりする人たちの名を見つけることはありません。しかし、この俗に言う「身分の低い人たち」が、自分の「主人」に当たる人たちに影響を与えるのは珍しいことではありません。

仕えること、証すること

グラディス・アイルワードは20世紀初め、ロンドンで家政婦をしていましたが、彼女には夢がありました。宣教師になって中国に行くことです。しかし、資格がないと断られたため、自力で中国に行こうと決心しました。28歳のときです。今まで働いて蓄えた貯金をはたき、中国の奥地のヤンチェンという村へ行く片道切符を買いました。彼女はそこで隊商宿を始め、聖書の話を語るようになりました。グラディスは他の村々にも尽くし、アイ-ウエ-デ(中国語で「徳の高い人」という意味)として知られるようになりました。

心を守る

成人を対象にした聖書勉強会で長い間教えていましたが、生徒の質問に答えるときは、じっくりと聖書を考察するように努めていました。その後、40歳で神学大学院で教えるようになりましたが、あるとき、あの勉強会にいた女性の真剣な質問に、ひどい返答をしたことに気づきました。私のせいで2年間も悩んでいるに違いないと思うと、居ても立ってもいられなくなり、急いで帰宅すると電話をかけました。

食べそこなったランチ

食事は私にとって、ただの必要でなく、人生の大きな楽しみのひとつです。食卓について美味しいご飯をいただくのは、本当に嬉しいのです。お腹がすいているときにはなおさらです。

さて、イエスの弟子たちは戻ってきて、先生がサマリヤ人の女性と井戸端で話しているのを見ました。彼らは昼食を食べていなかったので、お腹がすいていたのでしょう。イエスに、「先生。召し上がってください」と言いました。ところが、主のお答えは「わたしには、あなたがたの知らない食物があります」だったので、彼らは「だれか食べる物を持って来たのだろうか」といぶかったのです(ヨハ4:31-33)。

弟子たちは食事にこだわるあまり、自分たちが楽しく時を過ごすこと以外は思いつかず、井戸端で行われていたことの重大性を認識できなかったのでしょう。主イエスにとって最も重要なことは、「わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げること」(34節)でした。ですからイエスは、この女性の霊的な必要に焦点を合わせていました。彼女が渇望している霊の満たしを与えることができるのは、主イエス以外にはおられないからです。

私たちは、目下の必要にとらわれがちです。しかし、自分にとって「おいしいもの」ばかりに気を取られるのではなく、しっかり目を開けて、心を満たすものを求めて探している人がいることに目を向けなさい、とイエスは教えておられます。 

井戸端にイエスとともに立ちましょう。そして主イエスに用いていただいて、主だけが与えることのできる霊の糧があることを人々に語っていきましょう。

つづく

新約聖書の5番目に登場する「使徒の働き」は、イエスに任命された人たちのもとで、キリストの教会がどのように成長していったかの記録です。この書を「聖霊の働き」と名づけることができるという学者もいます。なぜなら、イエスに任命された人たちはさまざまな困難に直面するのですが、聖霊の力が、彼らを勇気づけていたからです。

イエスは天に上って行かれる直前、ご自分が選んだ人たちに対して、「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」と告げられました(使1:8)。このお言葉とともに、神の御業の物語の一章が終わり、新たな章が始まりました。神の御業の物語は今も継続中です。そして、私たちはその一部です。

「使徒の働き」には、ペテロ、ヨハネ、バルナバ、パウロ、ドルカス、ルデヤ、そのほか初代教会の時代に生きた大勢の忠実な証し人たちが描かれています。彼らは普通の人たちでした。神に頼って力をいただき、神のみことばを広め、神の愛を実践していきました。

この物語は、私たちによってつづいていきます。神を信じ、神に従い、イエスをみんなに知ってもらおうとする人たちの人生があるとき、神の贖いの物語に新しいページが加えられていきます。

ひとりずつ

エドワード・ペイソン牧師は過ぎし日の有名な説教者のひとりですが、ある嵐の日の主日礼拝に集った人は、たったひとりでした。その数ヶ月後、あのときひとりで礼拝していた人がやって来て、「私はあの礼拝で救い主と出会いました」と言いました。「あなたが罪と救いについて語るたびに、誰のことかと周りを見回しました。しかし、そこにいるのは私ひとりでしたから、語られた一語一語は私に向けられたものだと受け止めて、良心に刻むよりほかなかったのです」。

このように神は、私たちをひとり、またひとりと救ってくださいますから、そのひとりに出会う機会があるのなら、そこがあなたの宣教地です。「キリストが宿る心を持つ人は、誰でも宣教師であり、キリストを知らない人の心は、宣教の地だ」というスローガンもあります。世界宣教をひとりですることはできませんが、隣人を愛することはできます。その「隣人」とは、生活の中で出会っていく人たちのことです。

ピリポは、聖書の意味が分からなくて困っていたエチオピヤ人の宦官と、聖霊に導かれて出会いました(使8:26-35)。聖霊は、ピリポに適切なことばを与え、宦官はキリストを信じる信仰を告白したのです。

神が準備してくださった人と出会えるように祈りましょう。神は、適切な時と適切な場所でその人に語れるように導いてくださいます。主はあなたの口を通して語り、あなたの手を使って御業をなし、あなたの内に御心にかなった偉大なご計画を成し遂げられます。

単純にしよう

アメリカ合衆国第4代大統領ジェームズ・マディソンは、この国の憲法の起草に尽力しました。彼は、「読めないほど膨大であったり、ごちゃごちゃしていて理解しづらい」法律を作ってはいけないと警告しました。私は役所に提出する記入用紙を読みながら、お役人たちはマディソン大統領の言葉にもう少しきちんと耳を傾けてほしいと思いました。

福音を人に伝えるとき、ことを必要以上に複雑化してしまうことがあります。うれしいことに聖書は、救いの良き知らせを明瞭で平易なことばで伝えています。イエスは、学識あるパリサイ人のニコデモに、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」と語られました(ヨハ3:16)。また後に、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」とも言われました(14:6)。使徒パウロは、どうしたら救われるのか、と尋ねたピリピの牢獄の看守に、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と端的に語りました(使16:31)。

神の麗しいラブストーリーは単純です。神は、私たちを罪と死から救い出すために、ご自分のひとり子を遣わされました。子どもでさえ理解できる、素晴らしい話です。