造り主と支え主
スイス人の時計職人のフィリップは、虫眼鏡とピンセットを使ってゼンマイ式時計の細かい部品を分解し、掃除し、そして再び組み立てる工程を説明してくれました。複雑な部品を前に、最も重要な部品であるゼンマイも見せてくれました。ゼンマイはすべての歯車を動かし、時を正確に刻ませる部品です。時計は、どんなに巧みに設計されていても、ゼンマイが無くては動きません。
見えるのは唯一
クリスタは凍てつく湖岸に立ち、雪におおわれた美しい灯台をながめていました。写真を撮ろうとスマホを取り出しましたが、メガネが曇って何も見えません。それで、カメラを灯台に向けて当てずっぽうに3度、シャッターを押しました。しかし後で見ると、自撮りモードになっていたのです。彼女は笑って「自分が中心。見えるのは、唯一自分だけ」と言いました。それを聞いて、私はある失敗について考えました。私たちは、よく自己中心になって、神のご計画の全体像を見失います。
主はどのようなお方か
昨年、私たちはがんで闘病中の3人の女性のために祈りました。神は癒やす力をお持ちだと知っていたので、私も友人たちも毎日祈りました。主が病気を癒やされたケースを知っていたので、今回も同じことが起こると信じていました。回復の兆しを見て喜んだ時期もありましたが、結局、秋には全員が亡くなっていました。この3人は、究極の癒やしを得たと言う人がいます。それは確かにそうです。しかし、私たちは喪失感で深く傷つきました。全員が癒やされて欲しかったのに、なぜか奇跡は起こりませんでした。
イエスの奇跡を見て、自分も何かしてもらおうとついて行った人がいました(ヨハ6:2、26)。自分たちの王が現れたと思った人(ルカ19:37-38)、偉大な教師だと言った人がいました(マタ7:28-29)。一方、イエスはただの大工の息子だとか(マタ13:55-58)、その教えは到底受け入れられないと思って去った人もいました(ヨハ6:66)。
イエスは私たちの願いを必ずかなえてくださるとは限りませんが、私たちの想像をはるかに超えたお方、永遠のいのちの与え主です(ヨハ6:47-48)。イエスは賢く良いお方。愛し、赦し、寄り添い、慰めてくださるお方です。そのイエスの内に憩い、このお方に従っていきましょう。
使者
ある会議に出席しているとスタッフが「伝言です」とメモをくれました。何だろうと緊張しましたが「甥っ子ができた」と書いてあったので、吉報でした。
あがめるべきお方
夫が友だちを教会に誘いました。礼拝の後、その人は「歌も雰囲気も良かったけれど、なぜ君たちがイエスをあれほどあがめるのか理解できない」と言いました。そこで夫は、キリスト教はイエス・キリストと自分との関係についてなので、イエス抜きでは無意味だと説明しました。イエスが私たち一人ひとりの人生に様々に働いてくださったので、私たちは集まり、主をたたえます。
特別な日
ウィリアム・ディーン・ハウエルズの小説『毎日クリスマス』の中では、ある少女の願いが叶い、毎日がクリスマスという散々な一年になります。3日目でお祭り気分は萎え、やがて皆がお菓子にうんざりします。七面鳥が不足して法外な高値で売られ、プレゼントを感謝する人はなく、人々はいらついてきつい口調で話します。
救い主を待ち望む
愛車のエンジンがかからず、やって来た修理工はずいぶん若い人でした。夫は「あんな若造が…」とささやき、明らかに信用していません。その若者を疑う夫の言葉は、イエスを疑うナザレの人々のつぶやきを彷彿とさせました。
クリスマスに考える
クリスマスの雰囲気は12月に入るずいぶん前から盛り上がります。美しいイルミネーションで楽しませてくれる家や巨大なプレゼントに見立てて豪華に飾り付ける商業ビルもあります。この時期、クリスマス、または歳末商戦を感じさせない場所はあまり無いように感じます。
素晴らしいクライマックス
親のおかげでクラシックからカントリー&ウエスタンまで様々なジャンルの音楽に親しんで来たので、モスクワ国立交響楽団の演奏を聴きにモスクワ音楽院に足を踏み入れたときは胸が高鳴りました。指揮者に導かれてオーケストラがチャイコフスキーの名曲を奏で、テーマが徐々に発展して、力強い演奏が最高潮に達しました。劇的なクライマックス。まるで魔法のようなひと時で、客席は喝采の嵐でした。