やさしい主イエス
伝道者のチャールズ・ウェスレー(1707-1788)は、9千曲以上の賛美歌や聖詩を書きました。「言葉の限りにたたえまほし」などは、荘厳に天高く歌声が響くような賛美歌です。一方、1742年に初版の「やさしきイエス、おとなしく、おだやかに」は、子どもが静かに祈るために作詞したものですが、すべての人が素朴で誠実な信仰で神を求めるべきであることを表しています。「慈しみ深きイエス、やさしき小羊、恵みの御手に我が身を委ねまつらん。救いの主よ、汝が如く我が心造り変え給え、主よ、我が心に住まいたまえ。」
シンプルさには力がある
アメリカで確定申告をする人たちの中で、税収業務の規則について理解しようと時間をかける人はほとんどいませんが、それにはもっともな理由があります。フォーブス誌によると、アメリカの課税者の分類コードが、2013年には400万を超えたそうです。実際、税法はどんどん複雑になっていて、専門家でさえ、すべての規則を正しく当てはめて処理するのは大変です。その複雑さ加減は、まったくもって厄介です。
神の視点
ジェイソンは春休みを利用して、友だちとニューヨークに旅行しました。ある日の午後、エンパイア・ステート・ビルを見学しようとタクシーを拾い、ごった返した道を走り抜けるタクシーにひやひやしました。ところが、高層ビルの展望台に到着し、そこから下界を眺めて驚きました。街は整然と整備されていたのです。どこから見るかによって、同じ場所の風景はまったく違って見えました。
生きた橋
インドのチェラプンジ市の人々は、数多くの河川に独特な方法で橋を掛けてきました。ゴムの木を根づかせて育て、その木自体を橋にするのです。この「生きた橋」は、しっかりとした「大人」になるまで10年から15年かかりますが、ひとたび安定すると非常に安全な橋となり、耐久年数は数百年におよびます。
カムバック
チャド・ペニントンはアメリカン・フットボールの選手でしたが、現役時代に選手生命が脅かされるような怪我をしたことが二度もありました。しかし、手術の後、何ヶ月にもわたる理学療法やリハビリを経て、現役復帰を果たしました。しかも、ただの復帰ではありません。二度とも素晴らしい成績でシーズンを終わり、その年のNFLで「カムバック選手賞」を受賞しました。チャド・ペニントンの奮闘は、何としてもアメフトに戻るのだという、彼の決意の表れでした。
プロセスに 着目
ウィリアム・ジンサーは著書「文章の書き方(On Writing Well)」の中で、多くのプロの作家は「商品という暴君」に悩まされていると語ります。つまり、売れる本や原稿を書かなければならないと考えるあまり、どのように考え、計画し、構成するかという文章を書く過程をなおざりにしてしまうというのです。ごった煮のような作品は、「ゴール・ラインにばかり目を奪われ、レースの走り方を十分に考えていない」結果だと語ります。
魅力的に見せる
むかし、汽車でリンゴ売りをしていた少年がいました。少年は「リンゴ、リンゴはいかが」と声を上げて、車両から車両へと歩いていきました。ところが、最後尾の車両まで来ても、一個も売れません。袋いっぱいのリンゴが残っているだけでした。
害を与えない
古代ギリシアの医師ヒポクラテスは、西洋医学の父であると考えられています。彼は、医療従事者は道徳的な原則を重んじることが重要である、と理解していました。彼は「ヒポクラテスの誓い」を書いたとされていますが、これは今日に至るまで医師の倫理指針として使われています。この誓いの重要な教えのひとつに、「害を与えない」というものがあります。つまり、医者は患者にとって「益となる」と考えられることだけをすべきだ、というのです。
道で 助けてくれた人
英国王室の別荘のあるバルモラルの近くで、私の知人は友人たちと趣味の狩猟を楽しんでいました。ところが、うっかりして足首をひねり、歩けなくなってしまいました。そこでその知人はみんなに、自分はここで待つと言って道端に座っていました。