神の創造物
ハッブル宇宙望遠鏡と動物園、そして歌っている子どもたち。これらの共通点は何でしょう。詩篇148篇によると、これらはみんな神の素晴らしい創造の御業を指し示しています。
身近な場所に神を見る
私の住む場所では、なんとも壮大な神の創造の御業を楽しめます。最近、近所の森をドライブしたのですが、周りの景色は息を飲むほどの美しさでした。輝く青い空を背景に、深紅や黄色のグラデーションが秋の木々を飾っています。そのさまは、まさに芸術でした。
見えない80パーセント
地球上のすべての生命体の80パーセントは、海に生息しているという話を聞いて驚きました。ほとんどの生き物は、私たちの目が届かない場所で生きているというのです。しかし、それならば、神の創造は私たちが見て楽しみ、感謝している以上に素晴らしいものだということになります。私たちは雄大な山脈、大海に沈む夕日など、壮大な美しさに感激し、神の創造をたたえます。一方で、神の創造がいかに繊細かについては見落としがちです。なぜなら、それを知るには、緻密な研究と調査が必要だからです。海に隠されているという大多数の被造物だけでなく、私たちの目には小さすぎて見えない被造物もあります。顕微鏡なら見える小さいものから、まだ発見されていない宇宙まで、すべてが私たちの創造主の御業です。すべてのくすしい御業は、人の目に見えるものも見えないものも、創造主であられる神の栄光を現しています(ロマ1:20)。
宇宙の音楽
米国NASAの観測所で、ハミングする巨大なブラック・ホ-ルが発見されました。地球から約2億5千万光年彼方の銀河系ペルセウス星団に位置するブラック・ホールは、Bフラットの響きを放っています。しかし、ピアノの中央の「ド」から57オクターブ下の音だという計測結果が出ており、人間の耳では感知不能です。
飛ぶ奇跡
蝶は、神の被造物の中で、いちばん美しいもののひとつといえるでしょう。色鮮やかな羽、優美な飛び方、また渡りの行動パターンには驚かされるばかりです。蝶々は、私たちの目を楽しませてくれるだけではありません。神の創造の御業が、どれほどすごいのかという実例をも示してくれます。
何もないところで支えられる
ナショナル・ジオグラフィック・ソサエティ出版の世界地図には、地球の質量は6.6×1021トンだという注記があります。しかし、これだけの重さを下で支えているものは何もありません。私たちの住むこの星は、時速訳1,670キロメートルで自転しながら、太陽の周りを回っています。しかし、それを気にすることはめったにありません。健康のことや人間関係、家計のやりくり等、生活の気遣いに追われて日々を送っているからです。
僕はどこから来たの
アフリカ系米国人の7歳の男の子トビアスが、私の心を揺さぶる質問をしました。「アダムとエバは白人だけど、黒人はどこから来たの?」 私は、アダムとエバの肌の色が何色だったかわからないと答え、なぜ、ふたりが白人だと思うのかと尋ねました。するとトビアスは、教会や図書館にある子ども聖書の絵は、みんな白人だと言いました。私は絶句しました。こういうことが原因で、自分が劣っているとか、神の被造物ではないとさえ感じるかもしれないと思いました。
チューリップデー
世界にはチューリップデーという祝日を設けて、春の訪れを喜ぶ国々があります。チューリップといえばオランダだと思いがちですが、商業用の栽培は中近東で始まり、今日では世界中に広がりました。現在、推定で109種類ぐらいのチューリップが、世界各地の公園や街路、家々の庭を飾っています。
去年の秋、私もチューリップの球根を植えました。数ヶ月後、鮮やかな色の花が咲き、春の訪れを告げてくれました。それはまた、やがて夏がやって来ることの予告です。夏がくれば、多種多様の花が咲き乱れ、私たちの目を楽しませると教えてくれているのです。
私にとって花は、神の恵みを再認識させてくれる素晴らしいものです。山上の説教でイエスは語られました。「野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。…しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。…神は…ましてあなたがたによくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち」(マタ6:28-30)。主イエスは、野のゆりを例にとって、天の父が養ってくださることを教えられたのです。
チューリップは冬の終わりと春の始まりを知らせてくれますが、それだけではありません。野のゆりと同じように、衣食住の必要に応えてくださるお方を指し示してくれます。
イヌワシ
息子のマークと一緒にワイオミング州のクライド・ピーターソン牧場を出て、ミシガン州の自宅に戻る途中のことです。はるか向こうの険しい渓谷の淵に立つ木に、一羽の大きな鳥が止まっていました。近づいていくと、その鳥はイヌワシでした。そのイヌワシは、木から飛び立つと渓谷の上を滑空しました。拡げた大きな羽が、朝日に映えて金色に輝き揺らめいていました。息を呑むような壮麗さでした。私たちはその勇壮な姿を目の当たりにし、神の偉大な創造の力に畏怖の念をいだくと同時に、このような体験をさせていただけたのは何という光栄だろうと思いました。
神の被造物は、神の奇しいみわざを見させてくれます(詩145:5)。静まってこのみわざを思うなら、私たちは被造物に映し出される神の品性に感動するでしょう。神を畏れる気持ちがわき起こるに違いありません。
イヌワシの姿は、全能の神の素晴らしい創造の物語を教えてくれました。軽やかに飛びながらさえずる小鳥たちや、戯れて跳ね回る鹿の親子、寄せては返す波、繊細で可愛い千日紅や矢車菊なども神の被造物です。全く思いがけないときや、人里離れた場所でも、神はご自分の栄光を輝かせて、私たちにご自分を現してくださいます。このように、創造の神秘にはからずも巡り合ったなら、それは「神の奇しいわざに思いを巡らす」(5節)絶好のチャンスです。