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何もないところで支えられる

ナショナル・ジオグラフィック・ソサエティ出版の世界地図には、地球の質量は6.6×1021トンだという注記があります。しかし、これだけの重さを下で支えているものは何もありません。私たちの住むこの星は、時速訳1,670キロメートルで自転しながら、太陽の周りを回っています。しかし、それを気にすることはめったにありません。健康のことや人間関係、家計のやりくり等、生活の気遣いに追われて日々を送っているからです。

僕はどこから来たの

アフリカ系米国人の7歳の男の子トビアスが、私の心を揺さぶる質問をしました。「アダムとエバは白人だけど、黒人はどこから来たの?」 私は、アダムとエバの肌の色が何色だったかわからないと答え、なぜ、ふたりが白人だと思うのかと尋ねました。するとトビアスは、教会や図書館にある子ども聖書の絵は、みんな白人だと言いました。私は絶句しました。こういうことが原因で、自分が劣っているとか、神の被造物ではないとさえ感じるかもしれないと思いました。

チューリップデー

世界にはチューリップデーという祝日を設けて、春の訪れを喜ぶ国々があります。チューリップといえばオランダだと思いがちですが、商業用の栽培は中近東で始まり、今日では世界中に広がりました。現在、推定で109種類ぐらいのチューリップが、世界各地の公園や街路、家々の庭を飾っています。

去年の秋、私もチューリップの球根を植えました。数ヶ月後、鮮やかな色の花が咲き、春の訪れを告げてくれました。それはまた、やがて夏がやって来ることの予告です。夏がくれば、多種多様の花が咲き乱れ、私たちの目を楽しませると教えてくれているのです。

私にとって花は、神の恵みを再認識させてくれる素晴らしいものです。山上の説教でイエスは語られました。「野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。…しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。…神は…ましてあなたがたによくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち」(マタ6:28-30)。主イエスは、野のゆりを例にとって、天の父が養ってくださることを教えられたのです。

チューリップは冬の終わりと春の始まりを知らせてくれますが、それだけではありません。野のゆりと同じように、衣食住の必要に応えてくださるお方を指し示してくれます。

イヌワシ

息子のマークと一緒にワイオミング州のクライド・ピーターソン牧場を出て、ミシガン州の自宅に戻る途中のことです。はるか向こうの険しい渓谷の淵に立つ木に、一羽の大きな鳥が止まっていました。近づいていくと、その鳥はイヌワシでした。そのイヌワシは、木から飛び立つと渓谷の上を滑空しました。拡げた大きな羽が、朝日に映えて金色に輝き揺らめいていました。息を呑むような壮麗さでした。私たちはその勇壮な姿を目の当たりにし、神の偉大な創造の力に畏怖の念をいだくと同時に、このような体験をさせていただけたのは何という光栄だろうと思いました。

神の被造物は、神の奇しいみわざを見させてくれます(詩145:5)。静まってこのみわざを思うなら、私たちは被造物に映し出される神の品性に感動するでしょう。神を畏れる気持ちがわき起こるに違いありません。

イヌワシの姿は、全能の神の素晴らしい創造の物語を教えてくれました。軽やかに飛びながらさえずる小鳥たちや、戯れて跳ね回る鹿の親子、寄せては返す波、繊細で可愛い千日紅や矢車菊なども神の被造物です。全く思いがけないときや、人里離れた場所でも、神はご自分の栄光を輝かせて、私たちにご自分を現してくださいます。このように、創造の神秘にはからずも巡り合ったなら、それは「神の奇しいわざに思いを巡らす」(5節)絶好のチャンスです。

ちりの芸術

神は、ご自分の芸術作品であるアダムを造る材料としてちりを選ばれましたが(創2:7)、この材料は、足りなくなる心配がありません。「小さな塵の大きな不思議」(原書名 The Secret Life of Dust)の著者ハナ・ホームズによると、砂漠から風で巻き上げられる砂塵は1年間で10億トンから30億トンだといいます。10億トンは満杯の貨車1400万両分。1400万両の貨車を並べると、赤道を六周する長さになるそうです。

このちりをお金を出して買う人などありません。どこにでも捨てるほどあります。私は、我が家のちりは我慢できる間は見えないことにしています。そっとしておけば目立たない、というのが私の理屈なのですが、それでもちりは少しずつ積もっていき、いずれは掃除して綺麗にしなければなりません。

ちりを取り除けば、綺麗になった表面に自分の姿が映って見えます。同時に別のことも見えてきます。それは、こんな価値のないちりを使って、とても貴重なもの、すなわち、あなたや私という一人ひとりの人を、神が造り出してくださった(創2:7)ということです。

神がちりを用いて人類を創造されたことを考えると、何か(または誰か)を価値が無い、と簡単に決めつけてはならないと思います。悩みの種だから取り除いてしまいたいような人や問題こそ、実は、神がご自分の栄光を現すために素材として選ばれたのかもしれません。

素晴らしく作られている

最近、目の検査を受けたとき、今まで見たこともない装置が運ばれてきました。医者にそれは何かと聞くと、「この装置を用いて、あなたの目の奥の内側の写真を撮ります」という返事でした。

そんなことができるカメラが発明されたことに驚きましたが、その写真から得られる情報には、さらに驚かされました。医者は「目の奥を見るだけで現在のあなたの健康状態が分かりますよ」と言ったのです。

目の状態を見ると、全身の健康が判断できるというのは驚きです。神はこのように、細部にまで配慮して人の身体を創造されたのです。ダビデの詩の一節が浮かびました。ダビデは詩篇の中で「私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています」と語り、神の創造の御業をたたえました(詩139:14)。

私たちの身体は、非常に複雑にできています。これは創造主の偉大な英知の反映です。神のデザインの素晴らしさは、息を呑むばかりです。さあ、神をあがめ、礼拝しましょう。

世界は御父のもの

アマンダはカリフォルニア州サン・ディエゴ市にあるキリスト教系の大学の2回生でした。彼女は、クリスチャンが地球環境保全に果たすべき役割について、再考させられました。今までは、自分が救われていることと地球環境に配慮することに関連性があると意識していなかったのですが、クリスチャンに果たすべき役割があるとチャレンジを受けたのです。特に、世界中の困窮している人たちに福音を届けるということと、地球環境の関連を考えさせられるうちに、彼女は大きく成長し、変わっていきました。

クリスチャンには、神が創られた美しい世界をみこころにそって管理し、そこに住む人たちが幸せに暮らせるように配慮する責任があります。この責任を果たすことによって、私たちは自らが神を敬っていることを示します。この責任は、次のふたつの聖書の原則に基づいています。

初めの原則は、「地は神のもの」だということです(詩24:1-2)。詩篇の作者は、万物の創造主である神を賛美します。天と地、そしてそこにあるすべてのものは神のものです。神が創造し、神が君臨し(93:1-2)、神がそれらをいつくしまれます(マタ6:26-30)。第2の原則は、世界が健全に営まれるように守り導く責任を、神が私たちに授けたということです(創1:26-28)。私たちは、自然も人も尊んで守らなければなりません(レビ25:2-5、11節、箴12:10、ロマ15:2)。

地球環境は、私たちの御父のものです。それを尊重し、その中に住む人々に心を配ることによって、自分がどれほど神を愛しているか、神に示していきましょう。

栄光の冠

宇宙探査機ボイジャー1号は1977年に打ち上げられ、地球から180億キロメートル以上離れた太陽系の果てを飛行中です。1990年2月、科学者たちは地球からおよそ60億キロメートル地点にいたボイジャー1号のカメラを地球の方に向けて写真を撮りましたが、その写真は、私たちの住む地球が宇宙の大海原に漂う青い微小な点であることを明らかにしました。

この広大な銀河の大海原のちっぽけな石ころの上に、70億人以上の人が住んでいます。

これが現実なのだから自分は取るに足らない存在だ、と思いますか。それなら良い知らせがあります。聖書に耳を傾けてください。

ダビデは詩篇の中で、巧みな言葉で問いかけています。これを読んだあと外に出て夜空を見上げるなら、喜びに心がふるえるでしょう。詩篇8篇3節から5節は、私たちは神の目に夜空の星より大切な存在だと語ります。「あなたの指のわざである天を見、…人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。…あなたは、…これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。」このみことばを深く心に留めましょう。神は、ハッブル望遠鏡でも端の見えない広大な宇宙に命令を下されるお方です。このお方が、あなたを創られ、あなたに心を配っておられます。あなたを深く愛しておられるので、御子イエスに、天国から下り、あなたのために死んで欲しいと言われたのです。

不思議と驚きをもって、神の被造物を見上げましょう。そして、神の御子イエスを通して栄光の冠をかぶらせてくださった神を賛美しましょう。

天は宣する

夜の空を少し眺めるだけで、神の御手の業はすごいのだと十分に分かります。私たちは、神の御業に感嘆し、畏敬の念を抱きます。私たちは、広大に広がる銀河や天の川の銀の帯を見るにつけ、神がこれを創造し、治めておられること、そして、万物が御子イエスによって成り立っていること(コロ1:16-17)を思わずにはいられません。それはまるで、神の創造を見せる劇場の最前列で、その迫力を感じるような体験です。