愛を動機とした働き
エミリー・ケンワードは、少し前にキリストを信じてから、今まで気にならなかったことに疑問を感じるようになりました。例えば、ブライトン市のラベンダー通りは、高齢者が多い地区なのに、お年寄りを見かけないのはなぜだろう、と。その気付きが、行動のきっかけでした。
神への愛を動機に仕える
父は働き者でしたが不器用で、配管や暖房、トラクターが壊れると、誰かが助けてくれました。そんな時、貧しくて応分のお礼ができなくても、何とか払おうとしましたが、相手は受け取りません。彼らは困っている人を助けたかったのです。
神の視点
ハドソン・テーラーは、英国を離れ、中国で福音を伝えていました。活動は大変ながらも順調でした。しかし、1865年、より多くの宣教師を奥地に派遣しようと考えた時、護衛は付けられないので、非常に悩みました。テーラーは、神と格闘するように祈り、次のように記しました。「主は私の不信仰を打ち負かしました。そして私は神に降伏しました。……全ての責任と結果は神にあると認識しました」
主にある真の満足
当時、私と同僚は失業中で、ハローワークの研修に参加しました。今でもよく覚えていますが、30年前のことです。その時定年退職のあいさつ文を書く課題がありました。私たちの定年はずっと先で、今は職探しの最中なのに、どういうことだろうといぶかると、講師は「あなたのあいさつは恐らく、業務内容とはあまり関係ないでしょう」と、その目的を明かしました。仕事は人生の中心ではない。仕事を失えば嘆いて当然だけれど、あなたの人生は、誰かに雇用される以上に尊いものだと説明してくれました。
名もなき女性たち
シェリアは、テーブルを除菌クリーナーで拭き、使用済みの紙コップや紙皿の入ったごみ袋を結ぶと、それを手に部屋を見渡しました。教会の集会後の掃除担当として、最終確認をしたのです。その時、ある思いが心をよぎりました。「私の奉仕なんて、気付いてくれる人はいるのかしら」
謙虚なリーダー
友人のブッチ・ブリッグスは、51年間、地元の高校の水泳部のコーチとして皆に愛されています。私が「この50年で何度、州選手権で勝ったの?」と尋ねると、彼は持ち前の穏やかな口調で「一度もないよ。一度も出てないから」と言いました。それで「じゃあ、君のところの選手は?」と再度尋ねると、彼はうれしそうに「39回」と答えました。コーチの役割は確かに重要ですが、勝ったのは選手たち。それを自分の手柄にしないのがブッチです。
元気をあげる
アメリカンフットボールのトラビス・ケルス選手に関する記事の中に、彼のコーチの言葉があり、明察だと思いました。「この世で出会う人は皆、エネルギーをくれる人か、吸い取る人かだ」
ケアパッケージ
一人暮らしの大学生の子どもたちに、母親の私が送る小包「ケアパッケージ」には、主に手作りのお菓子やキャンディーが入っています。その他は、忘れていったお気に入りのシャツや文房具など、実用的なものです。このケアパッケージという言葉が、第二次世界大戦直後にアメリカで設立された人道支援団体の名称に由来すると最近知りました。その団体は、大戦直後、深刻な食料不足に見舞われたヨーロッパの戦争被災者や貧しい人々に、箱に詰めた食料などを届けたのです。
神の割り込み
サラは朝、その日にやることを書き出しましたが、家を失った家族にガソリンカードを届けてほしいと急に頼まれました。自分の予定を脇に置いても承諾するのが御心だと思い、教会にカードを取りに出かけると、教会が手配した宿舎はずいぶん遠いと分かりました。サラは「神よ、ガソリン代がかかりすぎます!」と言いました。すると、「君の必要をずっと賄ってきたでしょ?」と、聖霊がささやかれたかに感じました。彼女は、「そうでした。赦(ゆる)してください」と祈りました。そして目的地に着くと、くだんの夫婦にカードを渡し、彼らの赤ちゃんを抱っこさせてもらいました。帰宅の道すがら、神に感謝しました。こんなにシンプルで、こんなに幸せな気分になる奉仕を下さったのですから。