クリスマスの誕生
御使いガブリエルは、マリヤと羊飼いに「この民全体のためのすばらしい喜び」を知らせに来ましたが(ルカ1:26-27、2:10)、若いマリヤにとって、これは良い知らせだったでしょうか。「この妊娠をどうやって家族に告げよう」「ヨセフは婚約を破棄するかしら」「村の人たちは…」「命は助かっても、この先ひとりでどうやって生きていけばよいのかしら」。彼女は、こんなふうに考えていたかもしれません。
私の手を鍛えてくださる
元NBA選手のデイビッド・ウッドがタウグレスの選手としてスペイン・カップ決勝戦を戦ったとき、私は彼に同行しました。試合の直前、彼は詩篇144篇1節の「ほむべきかな。わが岩である主。主は、戦いのために私の手を、いくさのために私の指を、鍛えられる」を読んで、「まるで僕のために書かれたようだ。神が僕の手をリバウンドが取れるように、指をシュートできるように鍛えてくださる」と言いました。彼はバスケットボール選手に召されたと信じていました。そして、神がありのままの自分を取り、神の召されたことを行えるようにしてくださると学んできました。
火遊び
幼い頃、火遊びは絶対にいけないと母に言われていました。しかしある日、やってみたくなったのです。マッチと紙くずを持って裏庭に行き、しゃがみこんで、どきどきしながらマッチを擦りました。
言行一致
大学で教えている学生から、切羽詰まったメールが届きました。学期末が近づいたところで、そんな成績では来期は部活に入れてもらえないと気づいたのです。さてどうしましょう。彼には未提出の課題がありました。そこで、2日の有余を与えるので課題を仕上げるように返信しました。彼は「ありがとうございます。そのようにします」と答えました。ところが、2日経ってもなしのつぶてです。その学生は言行不一致でした。
神のご計画
軍隊を率いる司令官には全体を包括した戦略があるかもしれませんが、それでも個々の戦闘に対して、具体的な指令を上から受けて部下に出さなくてはなりません。40年の荒野の旅を経て、神の民は約束の地に入ろうとしていました。神は民の指導者としてヨシュアを立てられましたが、ヨシュアは、上記のことを学んでいかなければなりませんでした。
鉛筆戦争
小学1年生の時の先生は、私の鉛筆の持ち方が間違っているといって、どのようにすべきか見せてくれました。私は、先生が見ている時は言われた通りにしましたが、彼女の目の届かないところでは、自分の持ちやすいように持って書きました。
私のやり方
小さな男の子がふたりで、棒と糸を使った複雑なゲームで遊んでいました。数分後、年上の子がもうひとりに向かって不機嫌そうに言いました。「そうじゃない。〇〇君は、違うんだ。これは僕のゲームだから、僕のやり方でするんだ。〇〇君には、もうやらせない!」あらまあ。自分のやり方で…という欲望は、幼いときから始まります。
ふさを見よ
ベストセラー作家ハイム・ポトクの小説「選ばれしもの」の冒頭に、ニューヨークのユダヤ人が野球の試合をする場面があります。主人公のルーヴェン・マルターは、相手チームの選手のユニフォームに独特のふさ飾りがついていることに気づきます。選手のシャツの裾4隅に、長いロープ状のふさがついています。それは、旧約聖書の神の律法に厳格に従う、という象徴であるとルーヴェンは知っていました。
従順という豊かさ
世界中で公営の宝くじのある国は100カ国以上あります。近年のアメリカとカナダの宝くじの年間売上高は9兆円を超えますが、それも世界総売上高の一部にすぎません。一攫千金の誘惑は、宝くじに当たりさえすれば問題が解決するという考え方に、多くの人をいざないます。