根を下ろす
我が家の庭の一角は、どうも活気がありません。ていねいに水をやっても、そこだけは芝がまばらです。ある日、この場所にシャベルを突き刺して、その原因を突き止めました。地表のすぐ下に、10センチほどの砂利石の層があったからです。それを取り除き、良質な土を入れました。これで、新たに種を蒔くなら芝は根づいてくれるでしょう。
そのお方がイエスだ
マイケル・ブラウンはニューヨーク育ちのユダヤ人で、霊的なことに全く無関心でした。彼の人生は、バンドのドラム奏者であることを中心としていました。そして、薬物と関わっていました。ところが、彼は友人に招かれて教会へ行き、そこに集う人たちの愛と祈りに出会い、魅了されました。しばらくの葛藤の後、マイケルはイエスを自らの救い主として心に迎え入れたのです。
遅い到着も 大歓迎
ある晩、老人ホームを訪れると、トムという名の入所者が部屋からそっと出て来て、私のところに来ました。しばらく雑談をしてから、彼は尋ねました。「これほど年をとってからクリスチャンになるなんて、神に失礼ではありませんか。」このような質問は、驚くに値しません。私はチャプレンですが、年配の人、依存症の患者、また前科のある人たちから、表現は違っても、よく同じような質問をされます。彼らは、自分たちはもう手遅れで、神を信じたり、神に用いられたりということが、できるはずはないと思っています。
やり残したこと
レオ・プラスは、99歳で東オレゴン大学の卒業証書を手にしました。教育学部で学んでいたのは1930年代でしたが、家計を担うために退学して木材会社に就職しました。79年後、彼は卒業に必要な残りの単位を修得し、自分の人生でやり残した事業を完成させました。
まことの犠牲
エリックは善良で正しい人でした。警察官という職務は地域社会に対する奉仕だと考え、すべてをささげて忠実に任務に励みました。それが彼の信念だったということは、自分のロッカーのドアにヨハネの福音書15章13節のみことばを貼っていたことでも分かります。
主イエスはここで、「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません」とおっしゃっています。エリックにとって、これは絵に描いた餅のような理想ではありませんでした。これはまさに、彼の警察官としての責任感を表わしていました。そして、その強い責任感は、彼に殉職という究極の犠牲を支払わせました。自己犠牲の精神を身をもって示してくれたのです。
イエス・キリストは、ヨハネの福音書15章13節の鮮烈なみことばを語られてから数時間のうちに、ご自分のみことばを実行に移され、全うされました。二階の広間でこのみことばを語られたあと、イエスは、ゲツセマネで父なる神とひとつになって交わりを持たれました。そして捕らえられ、数々の非合法的な裁判を経て、あざけり笑う民衆の面前で十字架にはりつけになりました。
イエスは神の御子ですから、苦痛や拷問、残忍な仕打ちを逃れようと思えばそれができたでしょう。イエスは全くの無実でしたから、死刑になる筋合いなどありませんでした。しかし、真の犠牲のささげものであるイエスは、その原動力である愛にかき立てられるように、十字架に向かわれました。そのおかげで私たちは、イエスの犠牲とよみがえりを信じて受け入れさえすれば、自分の罪を赦していただけるようになったのです。
さあ、あなたのために死を選ばれた方を、あなたは信じますか。
確かな救い
イギリスを19世紀に治めたビクトリア女王が、あるとき、主日礼拝で大きく心を揺さぶられたそうです。礼拝の後、女王は司祭に、「この世の人生で永遠の確証を得ることはできますか」と尋ねました。ところが司祭は、答えることができません。一方、ジョン・タウンゼントという名の伝道者は、女王の質問を耳にし、よく祈った後、手紙を書きました。「恐れ多いことではございますが、この知らせを震える手で書いています。イエスが天に備えられた家で永遠に生きることの確証を今、得ることはできると存じます。女王陛下、どうかヨハネの福音書3章16節とローマ人への手紙10章9~10節をお読みいただきますよう、お願い申し上げます。」
2週間後、タウンゼントは手紙を受け取りました。そこには「記されていた聖書のみことばを、注意深く、祈り心で読みました。私は、キリストが私のために完成された御わざを信じます。そして、『わたしが行って、あなたがたに場所を備える』と仰せになったその家で、神の御恵みによって、あなたにお会いできると確信します。-ビクトリア」と書かれていました。
タウンゼントは、永遠のいのちの確証をこの世の人生の中で得ることができると確信していました(9節)。また、自分以外の人たちのことも心配していました。あなたの永遠の終着点について、ヨハネ3章16節とローマ10章9~10節は、どのような意味を持つでしょう。それについて、ぜひ考えてください。神は、自分の罪は赦されたという確信をあなたにあげたいと願っておられます。この世の生命が終わったなら、神と永遠に過ごすことができるのだという確信を、あなたに与えたいと願っておられるのです。
(Brent Hackett、RBCミニストリーズ カナダ ディレクター)
ただであげます
信じられないような大金を「あげます」というメールが毎日送られてくることに驚いています。先日、1週間分の金額を合計してみたところ、私の取り分は約20億円になりました。しかし、「賞金は100万円」も、「1千万円差し上げます」も、すべてはお金をだまし取ろうとする悪い人たちが送信しています。
私たちはみな、ただには弱いものです。けれども現実には、ただほど怖いものはない、という言葉のとおり、詐欺行為の場合がほとんどです。偽りの希望を差し出され、その夢は打ち砕かれてしまいます。
一方で、信じがたいほど良いにもかかわらず、正真正銘の話がひとつだけあります。それは、神が提供してくださった福音です。イエスが十字架上で成し遂げられたわざを信じれば、たましいの救いが与えられるという知らせです。聖書は「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と語ります(使16:31)。このような救いを提供するために、神は非常に大きな犠牲を払われました。一方、私たちは非常に大きな恩恵を受けたのです。ローマ人への手紙は、「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです」と語っています(ロマ4:25)。
この救いを受け取るなら、永遠のいのちの望み(テト1:2)、神との平和(ロマ5:1)、罪の赦し(エペ1:7)、限りなく豊かな恵み(エペ2:7)、そして、あがない(エペ4:30)が与えられます。この取引きは詐欺ではありません。イエスの死と復活がそれを保証しています。
単純にしよう
アメリカ合衆国第4代大統領ジェームズ・マディソンは、この国の憲法の起草に尽力しました。彼は、「読めないほど膨大であったり、ごちゃごちゃしていて理解しづらい」法律を作ってはいけないと警告しました。私は役所に提出する記入用紙を読みながら、お役人たちはマディソン大統領の言葉にもう少しきちんと耳を傾けてほしいと思いました。
福音を人に伝えるとき、ことを必要以上に複雑化してしまうことがあります。うれしいことに聖書は、救いの良き知らせを明瞭で平易なことばで伝えています。イエスは、学識あるパリサイ人のニコデモに、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」と語られました(ヨハ3:16)。また後に、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」とも言われました(14:6)。使徒パウロは、どうしたら救われるのか、と尋ねたピリピの牢獄の看守に、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と端的に語りました(使16:31)。
神の麗しいラブストーリーは単純です。神は、私たちを罪と死から救い出すために、ご自分のひとり子を遣わされました。子どもでさえ理解できる、素晴らしい話です。
打ち勝つ
ラジオでセミナーの宣伝をしていました。「死に永遠に勝ち続けよう。その方法をお教えします」と面白いことを言っていました。どんな方法で死に勝ち続けられるというのだろうと、少し興味を持ちました。ダイエットかエクササイズ、または死後の身体を冷凍するという類の話かしらと思いましたが、実は私の聞き違いで、正しくは「借金に勝ち続け…」でした。(注:英単語の「死」と「借金」は音が少し似ています。)
最高のニュースは、イエスが私たちの負債を支払ってくださったので、私たちは死に打ち勝つことができるというものです(Ⅰコリ15:55-57)。罪という負債があると、神から切り離されています。しかし、イエスは自らすすんで十字架にかかり、ご自分のいのちで私たちの負債を払ってくださいました。マグダラのマリヤと他のマリヤは、イエスの死から3日目にイエスが葬られた墓を訪れましたが、御使いが現れて「ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです」と語るのを聞きました(マタ28:6)。ふたりは大喜びで弟子たちにそれを知らせに行きましたが、その途中、イエスがふたりの前に現れました。主は「平安あれ」(口語訳 9節)と言われました。イエスは復活され、イエスに従う人たちには喜びが与えられました。
イエスは死のとげを取り去られました(Ⅰコリ15:55)。神の御子イエスの死と復活を信じるならば、私たちもまた勝利します。イエスの完全な御業によって、私たちは永遠に死に勝ち続けられます。