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ライオンと共生する

シカゴの博物館で、現存する「バビロンのライオン」の壁画のひとつを見ました。それは翼を持ったどう猛なライオンの姿を描いたものでした。このライオンはバビロニア帝国の愛と戦いの女神イシュタルの象徴です。紀元前604年~562年の間、バビロニア帝国の道路の脇に、これと同じような壁画が120も並べられていたと言われています。

キャンプで読む詩篇

私たち夫婦は野山を散策し草花を至近距離から撮影します。それらは驚くほど多様で美しく、まるで世界を顕微鏡で見ているようです。キノコにも驚かされます。それは一夜にして地面に現れ、色彩豊かな点々で森を明るく彩ります。

暗闇で賛美

ミッキーは失明しつつありましたが「神を賛美しつづけるつもりだよ。だって、私のために大きなことをしてくださったのだから」と言いました。

自然を楽しむ

美しい夕日を求めて旅をしたり、散歩の途中に立ち止まって写真を撮ったりして、日没の景色を楽しもうとしたことはありませんか。最近、私たち夫婦は、メキシコ湾の夕日を眺めに出かけました。その海岸には、この日没という自然現象を見るために大勢の人が集まっていました。それぞれ知らない者同士でしたが、太陽が沈んで行き水平線から完全に姿を消すと、みんなで一斉に拍手をしました。

髪を下ろす

マリヤは十字架を前にしたイエスの足に香油を注いだだけでなく、自分の髪で主の御足を拭きました(ヨハ12:3)。彼女は一生かけて蓄えたかもしれない高価な香油のみならず自分の評判も犠牲にしました。というのは、当時、良家の女性は人前では髪を下ろさなかったのです。イエスを礼拝するためなら、何を言われても構わないと考えたのでしょう。真の礼拝は人の目を気にしません(Ⅱサム6:21-22)。

コシの勇気

トーゴ共和国のモノ河で洗礼を待つ間、コシは古びた不気味な木像をおこしておいた火に投げ込みました。彼の一族はずっとこれを拝んできたのです。これに最上の鶏をささげることは、もう二度とありません。

私の全て

教会の音楽には何かが欠けていると感じていた青年アイザック・ウォッツは、もっと良いものを作りなさいと父親に促され、挑戦しました。ウォッツの作品「十字架にかかりし」(聖歌158番)は、英語の賛美歌の傑作と言われ、多くの言語に翻訳されています。

「主の頭、主の手、主の足から悲しみと愛がまざって流れ落ちる、悲しみと愛が出会う、いばらで作られた貴い冠」(原詞訳)という歌詞は、私たちを十字架のもとに導きます。

ここから始めましょう

草地に小さな花がぽつりと咲いていました。イギリスの詩人トマス・グレイが詩で書いたように、私はこの紫の花は、荒野で無駄に咲いていると思いました。この花にわざわざ目を留める人はいないでしょう。それなのになぜ、ここで美しく咲いているのでしょう。

祝うべきお方

イエスの誕生を描いた絵などを見ると、多くの場合、東方の博士たちと羊飼いは同じときに来て、イエスを拝しています。しかし、博士たちの来訪が唯一記されているマタイの福音書を読むと、彼らの到着は少し後だったようです。それによると、イエスはもはや馬小屋の飼葉桶の中ではなく、家におられました。「その家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた」(マタ2:11)と語られているとおりです。