鮮やかな光の中で
伯母のセレナが10歳の誕生日にくれた眼鏡をかけるや、ザビエル・マクーリーは泣き出しました。彼は生まれつきの色覚異常で、灰色の世界しか知りません。色覚補正眼鏡のおかげで、初めて色を見たのです。彼の感激を目の当たりにした家族は、奇跡が起きたように感じました。
チャンスを逃さないで
週の半ば、祈り会が始まる前、私たちは前の晩の中秋の名月の話をしていました。月は地平線の上に鎮座しているかのように、大きく際立っていました。白髪のウェッブさんは、その場にいた最年長者でした。彼女は、神の壮大な自然を心から愛していました。当時、私たち夫婦は、ふたりの幼い子どもを育てていたので、彼女は助言をしたいと思ったのでしょう。「赤ちゃんに月を見せるチャンスを逃さないでね」と言いました。
聖霊によって歌う
聖書学者で作家でもあるGキャンベル・モーガンは、20世紀初頭にウェールズで起こったリバイバルの様子を記しています。彼は、聖霊の臨在が聖なる歌の波となって渦巻いたと信じています。音楽が会衆をひとつにして、祈りや告白が自然に始まり、賛美の歌が自発的にささげられました。気分をよくした人が長々と祈ったり、自分勝手な話をしたりすると、誰かが静かに歌い出し、それに加わる人がだんだん増え、やがて他の音が聞こえないほどの大合唱になったそうです。
嘆きから礼拝に
キムは、2013年、乳がんの治療後4日目に、病気は肺に転移していて3年から5年の余命だと言われました。最初の1年は悲嘆にくれ、涙ながらに神に感情をぶつけていましたが、私が出会った2015年頃には、すでにすべてを神にゆだね、喜びと平安で輝いていました。もちろん辛い日もありますが、他の人を励ます中で、悩みや苦しみは、次から次へと希望に満ちた神への賛美の証しに変えられています。
乳飲み子の口によって
南スーダンに遣わされた宣教師のミッシェル・ペリーは、10歳の少女ヴァイオラが、木の枝をマイクに見立てて伝道者のマネをするのを見て、村の伝道集会で「説教」をさせようと考え、少女も承諾しました。ペリーは次のように述べています。「会衆の心は、とらえられた…孤児の少女が王の娘の威厳をまとって立ち、神の御国の現実を力強く語ったのだ。会衆の半数がイエスを受け入れた。」
気分を明るくされる方
駅で通勤電車を待っていると、否定的な思いが次から次へと押し寄せてきました。金銭問題、自分に言われた酷い言葉、理不尽な扱いを家族が受けたのに何もできなかった無力感などです。電車が到着する頃には、ひどい気分でした。しかし電車の中で別の考えが思い浮かびました。神に手紙を書いて、自分の不平不満を打ち明けることです。私はメモ帳に辛い思いを書き連ねると、スマートフォンを取り出し、賛美歌を聴きました。気がつくと、気分はすっかり明るくなっていました。
被造物の歌
科学者たちは、宇宙の音や波動を観察することができると言います。宇宙の星は、神秘的な夜空を静かに動いているのではなく、音楽を奏でていることが発見されました。ザトウクジラの鳴き声が人に聞こえないように、星の響きも、人間の耳が捉える周波数ではありません。しかし、星の音やクジラや他の被造物の声は混じり合って、神の偉大さを告げる交響楽を奏でています。
詩篇は「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いた」(19:1-4)と述べています。
新約聖書では、使徒パウロが次のような啓示を語っています。「天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの…万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです」(コロ1:16)。この啓示に応えるように、自然界の何もかもが、造り主に向かって歌います。私たちも万物といっしょに「手の幅で天を推し量」(イザ40:12)るお方の偉大さを歌いましょう。
疑問があっても礼拝する
グループで旅行をしていると、誰かが「まだなの?」とか「後どれぐらい?」と尋ねることがあります。これは、どの国の人とか、大人とか子どもとかにかかわらず尋ねる質問で、そう尋ねる人は早く目的地に着きたいのです。また、患難の中で長くもがき苦しむ人も、いつになれば終わるかと、同じ質問をしがちです。
あがめるべきお方
夫が友だちを教会に誘いました。礼拝の後、その人は「歌も雰囲気も良かったけれど、なぜ君たちがイエスをあれほどあがめるのか理解できない」と言いました。そこで夫は、キリスト教はイエス・キリストと自分との関係についてなので、イエス抜きでは無意味だと説明しました。イエスが私たち一人ひとりの人生に様々に働いてくださったので、私たちは集まり、主をたたえます。