待つ…
娘婿のジョンが神から離れてしまっていたので、ハリーは何年もの間、毎日、彼のことを神に祈っていました。そして、ハリーは亡くなりました。数か月後、ジョンが神のところに戻ってきました。舅が毎日祈ってくれていたことを姑のマーシャから聞かされて、ジョンは「戻るのが遅すぎました」と答えました。しかしマーシャは、「主はハリーの生前の祈りに、今も応えつづけてくださっているのよ」と、うれしそうに語りました。
通じないを防ぐ
私はもう何年も世界中で聖書を教えてきました。しかし、英語しか話せないので、通訳者とともに奉仕することもあります。彼らは、私が語ろうとしていることをつかみ取り、その国の言葉で語ってくれます。メッセージが聴衆の心に届くか否かは、ずばり通訳者の腕にかかっています。インドネシアのイナワティ、マレーシアのアニー、ブラジルのジーンなど、私の通訳者は、私の言おうとすることがはっきり伝わるように、心を砕いてくれます。
神が聞いてくださる
娘といっしょに絵本をいくつか読んだあとで、私は言いました。「ママは少し大人の本を読みたいから、また後でいっしょに絵本を読みましょうね。」そして、しばらく読書をしていると、娘は疑い深く私を見つめ、「ママ、ちゃんと読んでないでしょ」と言いました。私が声を出していないので、本を読んでいないと思ったのです。
待つ訓練
待つのは、いやなものです。車の渋滞やスーパーのレジ、病院の待合室など…退屈したり、イライラしたりします。別次元の「待つ」もあります。手紙の返事を待つ、道楽にふける息子(娘)の帰宅を待つ、妻(夫)が変わってくれることを待つなどです。私たちは、願いがかなうときを待ち望みます。
小さなテント
ロサンゼルスで1949年に開かれたビリー・グラハムの大伝道集会では、大きな天幕が8週間にわたって、毎晩6千人であふれかえっていました。近くには、求道者と個別に話したり祈ったりするための小さなテントも張られていました。ビリー・グラハム宣教団の音楽ディレクターを長年にわたって務め、グラハム師の親しい友人でもあったクリフ・バロウ氏は、「福音の真の働きは、『小さなテント』で起きた」とよく語っていました。伝道メッセージが語られる前や語られている最中、小さなテントの中ではひと握りの人たちが集まって祈っていたからです。地元ロサンゼルス出身のパール・グウドは、この祈りのチームの中心メンバーで、その後、各地の伝道集会でも奉仕しました。
クリスマスの奇跡
神学大学院で最初の学期を終えたとき、クリスマス休暇を実家で過ごすための航空券をもらいました。ところが出発の前日、所持金は20ドルにも満たないことに気づきました。空港までの交通費や雑費など、どう考えても20ドルでは足りません。私たち夫婦は途方に暮れながらも祈ることにしました。当時、子どもたちはまだ幼かったのですが(6歳と2歳)、祈りに加わらせることにしました。
親身になって聞く
英国オックスフォードのマグダレン・カレッジの教会に、亡くなったC.S.ルイスの同僚や友人たちが集まったのは、葬儀の1週間後でした。彼らは、学者の心にも子どもたちの心にも信仰と想像力の火をともし、その炎に風を送りつづけてきたルイスの功績を称えました。
ふたつの勝利
またもや、あの人たちが攻めてきました。昔、まだ若い羊飼いだった頃、ダビデはペリシテ人の最強戦士だったゴリヤテと戦いました。石投げを使って戦い、巨人ゴリヤテを絶命させました(Ⅰサム17章)。今やダビデは、イスラエルの王です。ペリシテ人は、ダビデが王になったと聞きました。そこで彼の命をねらって、またもやイスラエルに攻め込んできたのです(Ⅱサム5:17)。
主を待ち望め
私たちは今、様々なツールで即座に連絡を取り合うことが普通になっているので、少しでも返事が遅れるといらいらしてしまいます。そんな様子は滑稽です。妻の携帯にメールを送ったのに返信が待てず、電話したりする人がいるのです。