主よ、助けてください!
友人が妊娠したと知り大喜びしました。予定日を指折り数えて、いっしょに待ちました。ところが、赤ちゃんは分娩時に脳に障害を負ったと知り、私の心は張り裂けんばかりでした。どのように祈ったらよいのか分かりません。ただ、祈る相手が神だとは分かっていました。神は私たちの父であり、呼べば応えてくださるのですから。
満足をくれるパン
小学生のときに「主の祈り」を暗唱できるようになりました。そして、「私たちの日ごとのパンをきょうもお与えください」(マタ6:11参照)というくだりでは、本当にパンを思い浮かべました。我が家にパンがあるのは、父が町に行ったときだけでしたから、毎日パンを食べられるように祈ることは、私にとって理にかなうことでした。
神の防具
イスラエル人は、ネヘミヤの監督のもとでエルサレムの城壁を再建していましたが、半分ほど完成したとき、敵に狙われていると知りました。労働者たちは疲れていたので、やる気を失いかけました。ネヘミヤは対策を講じなくてはなりません。
お祈りマラソン
祈るという生活習慣は、なかなか大変ではありませんか。大切さを心得ていても、祈りつづけるのは簡単ではありません。神と深く交われたと感じることもあれば、決まった形をなぞっているだけに感じることもあります。なぜ祈りは難しいのでしょう。
聖霊は運ぶ
最近まで、アイルランドの田舎には番地や郵便番号がありませんでした。同姓同名の人がいた場合、郵便はまず、ここに古くから住んでいる人のところに届きます。彼がそれは自分宛てではないと言うと、次に住民になった人の所に行きます。ですから、新参者は自分の郵便物をすぐにはもらえません。しかし、この面倒な状況に終止符を打とうと、アイルランド政府はついに郵便番号を導入しました。
入る権利
ジェニーの家は田舎の小さな道沿いにありますが、朝夕は、近くの幹線道路の混雑や信号待ちを避けようとする車がたくさん通ります。数週間前、傷んだ路面を修理するために、作業員たちが大きな柵と「進入禁止」の標識を持って来ました。ジェニーは言いました。「初めは本当に心配でした。工事が終わるまで、自分の車を出せないのかしらと思ったからです。でも、標識をよく見たら、『住民に限って通行許可』とありました。私は住民ですから大丈夫です。好きなときに出入りする権利がありました。何だか、特別になった気分でした。」
神の前に出る
電話やEメールがない時代、電報は最も速い通信手段でした。しかし、それは緊急時だけに使われ、大抵は悪い知らせを届けるものでした。「電報配達人は悪い知らせを持ってくる」と、ことわざができたほどです。
ひとりの時間
コメディアンのフレッド・アレンは、「『セレブ』とは、有名になるために必死で頑張って、そうなれば気付かれないようにサングラスをかける人のこと」と言いました。名を成して注目されると、なかなかひとりにさせてはもらえません。
常に祈り、失望しない
一難去ってまた一難。そういう状況の方はおられませんか。夜、問題の解決を感謝して眠り、朝起きてみたらまた別の問題が起こっていて、苦しい状況は変わらない…。そんなあるとき、私はルカの福音書を読んでいました。そして18章1節、「いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された」のみことばに出会って、ハッとしました。しつこいやもめの話は何度も読んでいましたが、なぜイエスがその話をされたのか、よく分かっていませんでした(2-8節)。しかし、ようやくこのみことばと、たとえ話がつながりました。イエスを信じる人たちへの教えは明快でした。「常に祈り、失望してはならない」だったのです。