堅く立つ場所
ジョージア州サバンナの歴史的風致地区の川岸は、雑多な玉石で舗装されています。地元の人によるとその石は、何百年も前に大西洋を渡ってきた船を安定させるための底荷だったそうです。ジョージアの港でたくさん船荷を積むと不要になるので、埠頭周辺の道路の舗装に使われました。これらの石は、自分の主要な仕事、すなわち、危険な大海原で船を安定させることをやり終えた石でした。
愛に満ちた存在
私たち夫婦が親しくしているシンディが癌だと診断され、心が沈みました。シンディは明るい人で、出会う人すべてを祝福していました。彼女が小康を取り戻したときは夫婦で喜びましたが、癌は数ヵ月後に再発し、すさまじい勢いで彼女をむしばんでいきました。それは早すぎる死でした。
フーア!
アメリカ陸軍では、一団が同意承認を表すとき「フーア」と叫びます。元々の意味は定かではありませんが、「聞いた」「理解した」「認めた」という英単語の頭文字、H、U、Aを取ったという説もあります。私は兵役訓練で初めてこの言葉を知りました。
敗北それとも勝利?
今日6月18日は、現在のベルギーにあるワーテルロー近郊で、フランス皇帝ナポレオン一世の率いる仏軍が、ウェーリントン公爵率いる連合軍に敗れた日です。1915年のそのとき以来、英語で「ワーテルローに会う」と言うと、「自分よりも強い人、または大きすぎる問題に出会って打ち負かされる」という意味になりました。
組み立てが必要
私がため息をつき、家族が笑い出すのは、「簡単組み立て」という言葉です。新婚の頃、シャワーの簡単な修理をしようとして壁の裏側を水浸しにしてしまい、大失敗しました。子どもが生まれて簡単なおもちゃを組み立てるとき、妻に「説明書を見なくても大丈夫」と言ったものの、ひどいことになりました。
平時の神
神が凄いことをされたという証を聞いて、心が揺れるときがあります。祈りがきかれたことをともに喜ぶ一方で、自分には最近、驚くような神の御業が無いなぁと思ったりします。
疲れた者へ力を
素晴らしく晴れた日、重い心を抱えて公園を歩いていました。問題はひとつではなく、ことごとくうまくいっていないという状況でした。ベンチに腰かけると、小さなプレートがつけられていて、「誠実な夫、父、兄、そして友人だったあなたを偲んで」と書かれていました。また、「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない」(イザ40:31)という聖書のみことばも記されていました。私は、神がこのみことばをもって、直接語りかけてくださっていると思いました。
単純な話ではない
旧約聖書の律法を見ると、人生は明快です。神に従えば恵まれ、背けば困難に見舞われる。もっともな話かもしれませんが、実際、そんなに単純でしょうか。
神は良いお方か
神は良いお方じゃないと思う、と友人が言いました。何年祈っても解決しない問題があるのです。彼女は、神の沈黙によって神を恨むようになりました。心の底では信じているのでしょうが、辛い状況がつづき、神が少しも気にしておられないように見えるので、疑うようになったのです。悲しむより怒る方が、楽だったのかもしれません。