神のギャラリー
詩篇100篇は、素晴らしい絵のようです。私たちが礼拝する神は、目には見えないお方ですが、それでも、その神を誰かに知らせることは不可能ではありません。
私の力である神
古代バビロニアの兵士は冷酷非道で、鷲が獲物を襲うようにどう猛に他国を侵略しました。彼らは強いだけではなく、自意識が強く傲慢で、事実、自分たちの能力を崇拝していました。聖書は、「自分の力を自分の神とする者」と語っています(ハバ1:11)。
入る権利
ジェニーの家は田舎の小さな道沿いにありますが、朝夕は、近くの幹線道路の混雑や信号待ちを避けようとする車がたくさん通ります。数週間前、傷んだ路面を修理するために、作業員たちが大きな柵と「進入禁止」の標識を持って来ました。ジェニーは言いました。「初めは本当に心配でした。工事が終わるまで、自分の車を出せないのかしらと思ったからです。でも、標識をよく見たら、『住民に限って通行許可』とありました。私は住民ですから大丈夫です。好きなときに出入りする権利がありました。何だか、特別になった気分でした。」
敬意を保って
紀元前500年代の終わりごろのことです。イスラエルの民は、紀元前586年にバビロンに破壊された、神殿を修復しようとしていました。ところが当時、その地方の総督だった人は、神殿の再建が許可されているかどうか分からなかったので、ダリヨス王に手紙を書きました(エズ5:6-17)。彼は、ユダの人たちが神の宮の工事を進めていることを報告し、これは許可された工事なのでしょうかと王に尋ねました。
信仰の声
彼女は、あふれる涙をどうすることもできません。疑問や恐怖が大波のように押し寄せてきました。順風満帆だった人生が突然壊れて、全てが変わってしまったのです。悲劇は、色々な形でやって来ます。家族と死別したり、病気になったり、財産をなくしたり、仕事を失ったり…。それは、いつ、誰にでも起こり得ます。
悲しみ工場
私は長年アメリカンフットボールのクリーブランド・ブラウンズのファンなので、がっかりさせられる経験は十分してきました。我がチームは全32チーム中、スーパーボウルに出場したことのない4チームのうちのひとつです。負けてばかりのチームをなお応援しつづけるファンは、ホームスタジアムのことを「悲しみ工場」と呼ぶようになりました。
神の御名を呼べば
独唱の賛美はゴードン・ジェンセンの「御名を呼べば、近くにおられる(He’s as Close as the Mention of His Name)」でしたが、落ち着いたバスバリトンの歌声が、歌詞の意味を私のたましいの奥底まで届けてくれました。神の御名を呼ぶと、神が近くにおられる、というのは真理です。歳をとるほどに、ますますありがたくなる真理です。
これは何だろう?
母は何十年も日曜学校で教えていました。ある時、神が荒野でイスラエルの民に食べ物を与えられたことを子どもたちにリアルに説明しようと、パンを小さく切り、その上に蜂蜜を塗って、「マナもどき」を作りました。「その味は蜜を入れたせんべいのようであった」(出16:31)と、聖書に書いてあるからです。
神に誉を
ある日の礼拝に何人かの新来者がありました。その中のひとりが、牧師のメッセージの途中で外に出ていきました。私は気になって、彼女の後を追っていきました。