Category  |  罪の赦し

和解の扉

アイルランドの首都ダブリンの聖パトリック大聖堂には、ある物語にまつわる扉があります。バトラー家とフィッツジェラルド家が1492年に地域の覇権をめぐって争ったとき、バトラー一家は大聖堂に逃げ込み、フィッツジェラルド家の停戦の求めに応じませんでした。そこで、フィッツジェラルド家の人たちはドアに穴を開け、家長が握手のために手を差し入れました。両家は和解し、敵は友となりました。

悲しい話

長年、隠されていた悪事、すなわち男性たちが立場を利用して女性にセクハラをしていたことが、各所で明るみになりました。私が敬っ ていたふたりも加害者だと証明され、重い気持ちになりました。現代のキリスト教会もこの問題と無関係ではありません。

持ち場に復帰

彼女は昔、親に暴言を放ちました。それが最後の会話になるとは知る由もなかったのです。後悔に苛まれ、何年もカウンセリングに通いましたが、未だ自分を赦すことができません。後悔の無い人はいません。しかし聖書は後悔に捕らわれない道を示しています。ダビデの例を見てみましょう。

求められている

ロンとナンシーの夫婦関係は破綻寸前でした。不倫したナンシーは、神の前に罪を認めましたが、みこころに従い夫に謝罪するには葛藤がありました。しかし事実を打ち明けると、ロンは離婚ではなく、悔い改めたことを証明し信頼を取り戻させて欲しいと、やり直すチャンスをくれました。神はふたりの結婚生活を奇跡的に守られました。

再生の準備

陸軍に所属してドイツに駐留していた時、1969年製のフォルクスワー ゲン・ビートルを購入しました。深緑色の車体に茶色の合成皮革のシート。美しい新車でした。しかし、年月とともに車は傷み、事故のせいで一枚のドアとステップが壊れてしまいました。もし、私にもっと想像力とお金があったら、クラシックカーとして価値が出るから、ぜひ再生しようと思って、実行したかもしれません。しかし、実際は違いました。

脱出

アガサ・クリスティーの小説「複数の時計」の連続殺人犯は、元々ひとりの人を狙っていましたが、その殺人を隠すために、次々と人を殺します。探偵ポワロに迫られると「ひとりだけ殺すはずだった」と告白しました。

すっかりきれいに

英国の技師エドワード・ネアーンが、1770年、消しゴムを発明しました。その前はパンの耳で消していました。彼はパンを取ろうとして誤ってゴムをつかみましたが、それで書いたものが消える上、消しくずの始末も簡単でした。

閉じた目

彼は自分が悪さをしたと知っていました。そう顔に書いてあります。しかし向き合って話し合おうと座ると、ぎゅっと目を閉じました。3歳の甥の論理では、自分が見えないなら相手にも自分が見えません。見えない相手と話し合ったりはしないので、彼はその場から逃げることができると思ったのです。

厄介払いの良き日

年の初めに一風変わったイベントをする人たちがいます。「厄介払いの良き日」と呼ばれ、2006年に始まりました。それは、ある南米の伝統に由来します。各人が、旧年中の悪い出来事や嫌だったこと、恥かしい思い出などを紙に書き、その紙を業務用シュレッダーにかけます。または大槌で打ち叩く人もいます。