神の善の目的
◆ Ⅱサムエル記3-5
◆ ルカ14:25-35
神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように。―詩篇67:1
子どもの頃、教会の日曜学校で「神は、良くしてくださる。神は良くしてくださる。私の手を取り、立たせてくださる。神は良くしてくださる」と、よく歌ったものです。神はまさに善です。そして人々にとって良いことを、喜んでしてくださいます。私たちが苦難の中にいるときは私たちの手を取ってくださり、人生の試練に襲われても、それに立ち向かえるようにしてくださいます。けれども、なぜ神が善なのだろう、と不思議に思ったことはありませんか。神が良くしてくださるのは、私たちにその値打ちがあるからではありません。また、ご利益によって、私たちの愛や忠誠を買う必要があるからでもありません。
神は夜勤をする
◆ 出エジプト記7-8
◆ マタイ15:1-20
この方こそ、わが神。私はこの方をほめたたえる。―出エジプト記15:2
ジャックとトリーシャは、夜遅く、病院に向かって車を走らせていました。第二子を出産するためです。しかし、予期せぬ事態になりました。分娩が始まったのです。ジャックは119番に電話をかけました。電話に出たのはシェリー・ホワイトでしたが、彼女はすべきことを電話で逐一教え、赤ちゃんが誕生しました。しかし、赤ちゃんは息をしていません。するとシェリーは、ジャックに人工呼吸の仕方を教えました。彼は心を騒がせながらも、6分間人工呼吸を続け、ついに赤ちゃんは産声をあげました。
それは「良い」ですか?
◆ 創世記33-35
◆ マタイ10:1-20
私はあなたの恵みに拠り頼みました。―詩篇13:5
ある状況を指して、それが良いのか悪いのか、本当にわかるでしょうか。例えば、家族旅行に出発しようとした日、車が故障してしまいました。修理工場に持って行くと、整備士が言いました。「出発する前で良かったですよ。出かけていたら、途中で火事になっていたかもしれません。」予定変更は面倒なので、これは「悪い」でしょうか。それとも、神の守りに感謝して「良い」としますか。