すべての人の喜び
シンガポールで行われたキリスト教出版に関する国際会議の最終日、50ヶ国から出席した280人の参加者は、集合写真の撮影のためにホテルの庭に集まりました。二階のバルコニーから何枚も写真を撮り、これで終わりだと告げられました。すると誰かが、「感謝だ!」と喜びの声を上げました。また、それに合わせるようにクリスマスソングを口ずさむ人があり、人々は次々にその輪に加わりました。
囚われのクリスマス
ドイツの有名な牧師、マルティン・ニーメラーは、ヒトラーに公然と反対したため、8年近くもナチスの収容所に入れられました。1944年のクリスマス・イブ、ニーメラー牧師は、ダッハウ収容所で仲間たちに希望の言葉を語りました。「親愛なるみなさん。このクリスマス、ベツレヘムに生まれた赤子を仰ぎましょう。そのお方は、私たちに重くのしかかるすべての荷をともに担うために、私たちのもとに来られました…神の方から私たちに橋を架けてくださったのです。いと高き方からの夜明けは、すでに来ています。」
何を贈ろうか?
クリスマスに教会堂を飾りつける奉仕を担当した人たちは、飾りつけのテーマを「クリスマスリスト」にしました。そして、通常の金銀のオーナメントは使わず、赤と緑の札を教会員に配り、その片面に、イエスから頂きたいもの、反対の面には、降誕を祝ってイエスに差し上げようと思うものを書いてください、と言いました。
一番嬉しかったプレゼント
修養会で「今までで一番嬉しかったクリスマスプレゼントは何ですか」と質問されると、スポーツマンタイプの男性が、 「その答えは簡単だ」と言いました。「僕は大学を卒業したら、プロのフットボール選手にスカウトされると思っていましたが、そうならなくて腐っていました。そして、周りの人たちを傷つけていたのです。それから2年。フットボールを離れてから2度目のクリスマスに、今隣に座っている友人の教会に、クリスマス劇を観に行きました。求道心などありません。姪が出演するので、行ったのです。そのときの気持ちを表現するのは難しいのですが、なぜか、子どもたちの劇の真っ最中に、僕も羊飼いや天使たちと一緒にイエスに会わなければ、と切実に思いました。会衆が『きよしこの夜』を歌い終わった時には、立つこともできず泣いていました。」彼はもう一度、隣の友人をチラリと見て言いました。「彼は、家族を先に帰しました。そして、イエスを心に迎える祈りを導いてくれたのです。あの夜、僕は、最高のクリスマスプレゼントをもらいました。」すると、隣の友人がすくっと立ち上がって言いました。「みなさん、それが僕にとっても、一番嬉しかったクリスマスプレゼントです。」
個人的な話
ニューヨークの教会の外に、キリスト降誕を人形で再現した展示がありました。その飼い葉おけの中に、新生児が入れられているのが見つかりました。困窮した母親が赤ちゃんを暖かく包んで、助けてもらえそうな所に置いたのです。彼女を非難することもできますが、この子に生きるチャンスが与えられていたことを、神に感謝したいと思います。というのも、私自身が養子で、自分の出生について何も知らないからです。
喜びを広める
ジャネットは外国の学校で英語を教えていましたが、職場の雰囲気は重苦しいものでした。各々が黙々と自分の仕事をして、互いに手伝ったり、励ましたりもせず、誰も幸せそうに見えません。しかしジャネットは、神が自分にしてくださった全てのことに感謝しているので、その思いが行動に表れます。彼女は、いつも笑顔で人なつっこく、面倒がらずに他人を助けます。そして、鼻歌を歌ったり、賛美歌を口ずさんだりするのです。そんなジャネットに感化され、学校の雰囲気が少しずつ変わってきました。笑顔の人が増え、助け合いも増えました。教育委員会の人がやって来て、何が変わったのかと尋ねると、校長はクリスチャンではないのに、「イエスが喜びを運んで来ました」と答えました。ジャネットはイエスの愛で満ちていて、それがみんなの上にこぼれ落ちたのです。
このお方を誰と言うか?
アインシュタインは1929年のサタデー・イブニング・ポスト紙のインタビューで、こう語りました。「子どもの頃、聖書とユダヤ教の両方から学びました。私はユダヤ人ですが、聡明なナザレ人に夢中になりました。…福音書を読んでイエスの存在を疑う人はいません。イエスの一言一言に人柄が現れます。ただの神話であるはずはありません。」
私たちの覆い
イエスを信じる信仰について話すとき、言葉の意味をきちんと説明せずに使ってしまうことがあります。例えば「義」という言葉です。私たちは、神は「義」であり、人を「義」とされると言いますが、これはとらえることが難しい概念です。
別の側面
聖会の主題は「私の民を慰めよ」で、各講師は安心を保証するメッセージを語りました。しかし、最後に奉仕した講師は、「目を覚ませ」と題して、まったく語調の違うメッセージを語りました。優しい態度ながらも言葉を濁さず、エレミヤ書7章1~11節から、目を覚まして罪を離れなさいと語ったのです。彼は、「私たちは、自分は神に愛されている。だから悪を恐れないと言いながら、様々な悪を行います…神の恵みに隠れて密かに罪を続けてはいけません」と、預言者エレミヤのように忠告しました。