グレイスランド
テネシー州、メンフィスにあるグレイスランドは、アメリカで最も訪問客の多い邸宅だそうです。1930年に建てられ、所有者の大叔母グレイスの名に因んで、そう呼ばれました。その後、エルヴィス・プレスリーが住み、彼の家として有名になりました。
のがれの町
オーストラリアのある町に行ったとき、「避難する場所を求めている方々を歓迎します」という看板がありました。この種の歓迎は、旧約聖書の「のがれの町」という考え方と一致しています。旧約聖書の時代、「のがれの町」(民35:6)というものがありました。間違って人を死なせてしまったために、復讐されないように保護を必要としていた人が逃げ込む町でした。神は、そのような場所を備えなさいと言われました。
あるがまま我を
ある演奏会で「あるがまま我を」が紹介されたとき、私は懐かしい思い出に包まれました。昔、教会で牧師はメッセージの後に、「キリストがくださる罪の赦しを受け取りたい人は前に来てください」と言い、会衆はこの賛美歌を歌いました。「あるがまま我を 血をもて贖い イエス招き給う み許にわれゆく。」
信頼して近づく
モン・サン=ミシェルは、フランスのノルマンディー沿岸から0.8キロほど離れた場所に位置する小島です。何世紀も前に大修道院が建てられ、修道士たちが隠遁(いんとん)生活を送ってきました。そこはまた、多くの巡礼者たちのあこがれの地でもありました。しかし、土手道が建設される前は非常に危険な道とされ、落命した巡礼者もありました。干潮時には島のまわりに砂洲が現れますが、満潮時には海水に取り囲まれます。島へ行くことは恐怖を伴いました。
神の視点
ジェイソンは春休みを利用して、友だちとニューヨークに旅行しました。ある日の午後、エンパイア・ステート・ビルを見学しようとタクシーを拾い、ごった返した道を走り抜けるタクシーにひやひやしました。ところが、高層ビルの展望台に到着し、そこから下界を眺めて驚きました。街は整然と整備されていたのです。どこから見るかによって、同じ場所の風景はまったく違って見えました。
ザアカイを 探す
アルフ・クラークは、「ザアカイ」を探して通りを歩きます。聖書に出てくる、あのザアカイではありません。あのザアカイは、イエスが既に見つけられましたから。アルフは友人たちと、都会の貧困地区で宣教しています。彼らは、イエスがルカの福音書19章でなさったことをしています。すなわち、困っている人を探して町を歩き、彼らに手を差し伸べるのです。
神は星に名をつける
チリのアタカマ砂漠の高地に、世界最大の電波望遠鏡があります。天文学者たちはこれによって、今までに知られていない宇宙の様子を見ることができます。ルイス・アンドレはAP通信で、「宇宙誕生の手がかり、すなわち、極寒のガスと塵によって銀河が形成され、ビッグバンによって生じたエネルギーによって星が生まれたときのこと」を探ろうとする各国の科学者たちについて書きました。
白旗を振る
最近、南米のある教会の礼拝の様子を映像で見ました。牧師は教会員たちに、自分の人生のすべてをイエスに明け渡しなさいと熱く語っていました。そのとき、教会ではまったく見たことのないことが起こりました。ひとりの教会員がポケットから白いハンカチを取り出し、手を上げてそれを振り始めました。すると別の人たちも次々とハンカチを振って、涙を流しながらキリストに「白旗を揚げる」(完全に降伏する)ことを表明しました。
いつまでも続く後悔
才能豊かなピアニストと話していたとき、何か楽器を演奏しますかと尋ねられました。「私が音を出せるのは、ラジオぐらいです」と答えると、彼女は笑って、楽器を弾きたいと思ったことはなかったのですかと尋ねました。私はきまり悪げに、「子どもの頃、ピアノを習っていたのですが、やめてしまいました」と答えました。ピアノをつづけなかったことは、今となっては悔やまれます。音楽が好きなので、ピアノが弾けたらどんなに良いかと思います。このような会話で改めて思わされるのは、人生の選択についてです。それぞれの人生は、多くの場合、自分の選択によって作られ、自らの選択の中には悔やまれるものもあります。