Category  |  悲しみ

よく休みなさい

午前1時55分。スマホでチャットしたことが気になって寝つけません。私はくるまっていたシーツから抜け出して、そっとソファーに移動しました。そして、安眠術についてネット検索すると、逆に、安眠の妨げになることがヒットしました。長い昼寝、カフェインの摂取、夜の運動などです。夜遅くにスマホを見ることもよくありません。チャットはダメだったのです。よく眠りたければ、してはいけないことがたくさんあります。

感情を持っている

息子の薬物依存のことでシエラは疲弊していました。「情けないわ。祈ると涙が止まらない。信仰が薄いと神様に思われるかしら」と尋ねるので、「それは分からないけれど、神様は激しい感情を受け止めてくださるわ。私たちに感情があることはご存じだから」と答えました。そして、彼女の息子のために一緒に泣きながら祈りました。

嘆きの中の希望

ロンドンのタクシー運転手は、空港に向かう車内で、身の上話をしてくれました。戦争と貧困から逃れて、単身15歳でイギリスに渡り、11年経った今、家庭を持ち、家族を養うことができています。母国ではあり得ない幸いですが、今も親兄弟と離れ離れで辛いと嘆いていました。困難な旅路は、家族と再会するまで終わらないと語りました。

嘆いても大丈夫

私はくずおれ、「神様、どうして助けてくれないのですか」と涙を流しました。2020年のコロナ禍の中、私は解雇された上、失業手当の手続きがうまくいかず、政府のコロナ給付金の小切手も届きません。愛の神は、私の生活を守ってくださると心の奥では信じていましたが、一時は見捨てられたように感じました。

神のあわれみ

ジェームスが6歳のとき、兄のダビデが14歳の誕生日を目前に、スケート中の事故で亡くなりました。母のマーガレットは、ダビデが大人になる大変さを味わわなくてもよいと考えることで、息子を亡くした悲しみを乗り越えようとしていました。その考えは、ジェームス・バリーのファンタジー『ピーターパン』として、数十年後に花開きました。主人公が少年のまま年を取らない、子どもたちが大好きな物語です。想像を絶する心の痛みから、素晴らしいものが生まれたのです。

強さ

大きな木箱を組み立てる職人に、12歳のアルバートは尋ねました。「シンガーマンさん、なぜ泣いているの?」職人は答えました。「誰だって泣くさ。おやじもじいさんも泣いていた。」名作ドラマ「大草原の小さな家」の一場面です。職人は少年に優しく語ります。「棺を作るとき、涙はつきものだ。泣くのは弱虫だと言って泣かないやつもいるが、わしは素直に泣けてこそ一人前の男だと教わった。」

本当の気持ち

小説家で詩人でもあったビクトル・ユゴー(1802-1885)は、19世紀のフランス、政治や社会が目まぐるしく変化する激動の時代を生きました。代表作の「レ・ミゼラブル」は、一世紀以上経ってからミュージカル化され、人気を博しました。しかし、驚くには値しません。ユゴー自身も「音楽は、言葉で言い表せないながらも黙ってはいられない事柄を表現する」と語っているのですから。

別れと出会い

弟のデービッドが心不全で突然亡くなって、私の人生観は一変しました。彼は、7人兄弟の4番目でしたが、一番先に逝ってしまいました。予期せぬ死別は、私に熟考を促しました。歳を重ねると、家族にとって、将来は得ることより失うことが多いのは明らかです。出会いと同じくらい別れがやってくるでしょう。

悲しみの時に神を信頼する

末期がんだと分かったとき、「パパ・ジョン」と妻キャロルは、闘病生活をネットでシェアするように神に告げられたと感じました。弱さをさらけ出すことを通して、神が証されると信じ、2年間、喜びや悲しみ、そして苦しみを語り続けました。キャロルが「夫はイエスの腕の中に迎えられた」と書いた時、何百人もが、ふたりの大胆な分かち合いに謝意を表しました。ある人は「皆、いつかは死ぬのだから」キリスト者の死に対する考えは健全だと書きました。別の人は、ふたりに会ったことはないけれど、神を信頼する姿に勇気をもらったと書きました。パパ・ジョンは時に激痛に見舞われましたが、分かち合いは続きました。神がどのように支えてくださるかを伝えたかったからです。彼らはその証が神のために実を結ぶと信じていました。それは苦しみの中で「私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです」(Ⅱテモ1:12)と書いた使徒パウロを彷彿させます。