嘆きのミニストリー
私は姉夫婦を2002年に事故で亡くしました。数か月後、悲しみを通して成長する」と題したワークショップが教会で開かれました。私は友人に誘われて仕方なく参加しましたが、初回だけにするつもりでした。ところが、神と仲間の助けを受けて、大切な人を失った痛みと向き合おうとしている誠実な人たちに出会い、毎週、その会合に引き寄せられました。そして、悲しみを互いに語り合うことで喪失を受け止め、平安を取り戻していきました。
悲しみから喜びへ
ケリーの出産は異常分娩になりました。しかし大変な難産の末、無事に産まれた息子を抱くと、彼女は痛みを忘れてしまいました。苦しみが喜びに変わったのです。
二枚の写真
友だちに写真を見せている老婦人がいました。一枚目は故郷のブルンジ共和国にいる娘の写真。二枚目はその娘に生まれた孫の写真です。けれども、孫を抱いているのは娘ではありません。出産で亡くなったのです。友だちは老婦人の頬に手をやって「分かるわよ、分かるわよ」と涙ながらに言いました。彼女もまた、二ヶ月前に息子を亡くしていました。同じ経験をした人の思いやりは特別です。その辛さを知っているのですから。
現実の世界
当時17歳だった娘のメリッサを自動車事故で亡くしてから十年以上の歳月が流れましたが、今でも、もし…だったら、あの夜、娘は無事に帰宅していたのではないかと考えてしまうのです。悲しいのですから仕方ありません。
イエスは涙を流された
グリム童話の「ガラスの棺」を読んでいると、友人が覗き込んで「うっとうしいタイトルねえ」と言いました。「棺」と言う言葉に反応したのです。人は自分の死の必然性を突き付けられたくないかもしれませんが、それでもみんな、必ず死にます。
彼女の決心
友人が突然、夫を心筋梗塞で亡くしました。彼女はカウンセラーとして多くの人を慰めてきましたが、結婚して40年経った今、仕事が終わって誰もいない家に帰るという痛みと向き合わなくてはなりません。彼女は悲しみの中で、「心の打ち砕かれた者の近くにおられる」お方にすがりました。そして、辛い日々を神と歩む中で、「寡婦」であることに胸を張ろうと決心したと言います。なぜなら、その境遇は神が彼女に与えられたからです。
悲しみ工場
私は長年アメリカンフットボールのクリーブランド・ブラウンズのファンなので、がっかりさせられる経験は十分してきました。我がチームは全32チーム中、スーパーボウルに出場したことのない4チームのうちのひとつです。負けてばかりのチームをなお応援しつづけるファンは、ホームスタジアムのことを「悲しみ工場」と呼ぶようになりました。
ティッシュの箱
手術室の待合に座って思い巡らしていました。ほんの少し前ここに来たときは、たったひとりの弟が脳死だと言われました。そして今日、妻が手術を受けているのです。私は知らせを待ちながら、妻に長い手紙を書きました。周囲はざわざわしていましたが、神の静かな声を聞こうと、私は耳を澄ませていました。
太陽の暖かさ
アメリカで1961年に結成されたロックバンド「ビーチボーイズ」のメンバー、ブライアン・ウィルソンとマイク・ラブは、1963年11月のある日、アップビートで典型的な「ビーチボーイズ」の曲とは全く違った雰囲気の曲を作りました。それは、失ってしまった愛を悼む曲でした。後日、マイクは次のように語りました。「あのような喪失はとても辛いけれど、良いこともあります。それは、愛したという経験が、まずあったということです。」彼らはその曲に「太陽の暖かさ」という題をつけました。