Category  |  悲しみ

悲嘆と希望

アメリカのカントリー歌手、ジョージ・ジョーンズが81歳で亡くなったとき、ファンは彼の素晴らしい歌声や波乱に満ちた人生に思いを馳せました。その曲の大半には、ジョーンズ自身の切なさやあこがれが映し出されていましたが、それ以上に人を感動させたのは、彼の歌い方でした。シカゴ・トリビューン紙の音楽批評家グレッグ・コットは、「ジョーンズの歌声は、心の痛みを伝えるために造られた」と語りました。

神は気にかけてくださるか

レイシー夫妻は大きな問題を突き付けられ悩んでいました。「イエスだけで十分なのだろうか。イエスとの絆だけでやっていけるのだろうか。神は私たちのことを思ってくださっているのだろうか。前向きに生きていこうとするに十分なお方なのだろうか。」

ふたりの人

私が住んでいる町で、同じ日にふたりの人が殺されました。ひとりは警察官で、ある家族を助けようとして撃たれました。もうひとりはホームレスの男性で、その日の早い時間、友人たちと飲んでいるところを撃たれました。

そばにいる

コネチカット州の小学校で、20人の児童と6人の教職員が犠牲となる殺傷事件が起こり、国中を震撼させました。事件のことが人々の頭から離れず、さまざまな問いが脳裏を駆け巡りました。どんな人物が、どんな理由で…同様の事件が繰り返されないためにはどうしたらいいか…事件に巻き込まれながらも生き残った人たちのケアは…。このような混乱の中、ある異色の一団が訪れて、光明を灯してくれました。それは、シカゴからやってきた犬たちです。

存在という贈り物

ある会社の人事部長になって間もない頃のことです。ひとりのベテラン社員が亡くなりました。私は彼と面識はなかったのですが、葬儀に出席し、遺族を訪問しました。亡くなった人はレンガ職人で同僚から慕われていましたが、夫人のところを訪ねた人はわずかでした。家族を亡くして辛い人に何と言ったらよいか分からないから、みんないたたまれないのだと、誰かが彼女を慰めていました。

簡単なレシピは無い

孫の誕生日パーティーのために、妻はチョコチップ入りの大きなクッキーにデコレーションしました。彼女はレシピ本を調べて材料を調達し、一つひとつのステップに従ってクッキーを焼きましたが、シンプルなレシピだったので、すべてがうまくいきました。

人生もこうなら良いと思いませんか。シンプルなレシピに従うだけで、幸せな人生を謳歌できるなんて。

ところが人生は、そう簡単にはいきません。私たちは堕落した世界に生きているので、痛みや苦しみ、不正義や喪失を免れさせてくれるレシピはないのです。

苦しみのただ中にあるとき、私たちは救い主に個人的にかかわっていただいて助けていただかなければなりません。主は、この世に生き、私たちと同じ苦悩を体験されました。

へブル人への手紙4章15節は、「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです」と語ります。このみことばは、私たちを勇気づけてくれます。キリストは、私たちにいのちを与えるために死なれました。そして、私たちが辛い闇の中を通るときにも、最後までしっかりと支え抜いてくださるお方です。「私たちの病を負い、私たちの痛みをになった」と聖書が述べているとおりです(イザ53:4)。

人生の痛みを避ける簡単なレシピがないことを、イエスはご存知です。だからこそ、イエスは私たちのところに来てくださいました。悩みも苦しみも一切、このお方に委ねてみませんか。

より良い場所

1年で聖書を!
◆ 詩篇37-39
聖書のみことば 黙示録21:4-11
 
神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。―黙示録21:3

友人のマーシは義父が亡くなったあと、彼の好物のパイナップルサラダを作るのを止めてしまいました。ある日、彼女の幼い息子が、どうして最近、パイナップルサラダが食卓に上らなくなったのかと尋ねると、マーシは答えました。「おじいちゃんを思い出して悲しくなるからよ。

集まる

1年で聖書を!
◆ 詩篇9-12
聖書のみことば 黙示録7:9-17
 
御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださる―黙示録7:17

オズワルド・チェンバーズは、エジプトのYMCAで従軍チャプレンとして奉仕し、第一次世界大戦で亡くなった多くの兵士たちの心の支えとなりました。チェンバーズは1916年11月6日の日記に次のように書いています。「ニュージーランドの友から手紙が届いて、テッド・ストラックが死んだと書いてあった。

打ちのめされた

1年で聖書を!
◆ 申命記1-3
聖書のみことば 詩篇116:1-6
 
神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。―詩篇46:1

子どもに先立たれた親のひとりとして多くのエッセーを書いているので、同じ苦しみを背負って頑張っている人たちを紹介され、語り合うことがよくあります。最近知り合った女性は、21歳の娘さんを2009年に突然亡くされました。彼女は「私は世の中から見放されたように感じています。本当にショックで、とてもつらいのです」と言われました。