今は空っぽ
私たち家族と弟たちは実家の引っ越しを敢行しました。午後遅くに最後の家財を運び出すと、もう戻ることはないと思い、裏庭のポーチで集合写真を撮りました。母が振り向いて「もう空っぽね」と言った時は涙がこぼれそうでした。この気持ちをどうすればよいのでしょう。54年間の家族の思い出が詰まった家が、今は空っぽなのです。私は考えるまいと、思考を停止させました。
イエスのために戦う勇気
西暦155年、棄教しなければ火刑だと脅されたポリュカルポスは言いました。「私は86年間、主のしもべだが、主に冷遇されたことはない。それなのに、なぜ今、私を救われた王を冒瀆(ぼうとく)することができようか」。私たちも迫害されたなら、この言葉に奮い立つでしょう。
悲しみと喜び
近しい人を1カ月の間に3人も亡くし、アンジェラの家族は悲しみに暮れていました。おいが突然亡くなった後、アンジェラと2人の姉妹は、3日間、台所の食卓にじっと座っていました。動いたのは、骨壷を買い、宅配の食事をし、葬儀に参列した時だけです。しかし、死を悼む間、喜びに浸る時間もありました。それは、末の妹のお腹で順調に育つ新しい命の超音波写真を見た時でした。
回復させる神
イタリアのフィレンツェで1966年11月4日に起こった大洪水により、有名なジョルジョ・ヴァザーリの『最後の晩餐』は、泥水と油の中に12時間も放置されました。額縁は損傷し、絵具も浮き出て、絵の修復は不可能に思われました。しかし、専門家とボランティアが、あらゆる障壁を乗り越え、地道な修復作業を50年間続けたことで、この大作は復元されました。
希望を持って
戦線の父の消息が途絶えた時、7歳の妹は母に言いました。「パパは帰ってくるわ。だって花を贈ってくれたもの」。父が出発前に手配していた妹の誕生日の花束が届いたのですが、妹は正しかったのです。父は悲惨な戦闘をくぐり抜けて生還しました。彼女は数十年経った今も、希望を持つことを忘れないように、その花束を生けた花瓶を大切にしています。
聞かれている
チャールズ・リボルグ・マンとジョージ・ランサム・ツイスは、1905年の著書『物理』で、「人里離れた動物もいない森で木が倒れた時に、音はするか」と問いました。それを発端に、音、認知、存在に関する議論が、哲学と科学の両分野で始まりましたが、今も結論は出ていません。
信仰の種
昨春、庭の芝生のエアレーションをする前夜、強風が吹いてカエデの種が落ちました。エアレーションとは、固まった土に穴を開けて、土壌の通気を良くすることです。結果として、私は何百というカエデの種を庭に植え込んでしまい、たった2週間で、芝生の中にカエデの幼木の森ができていました。それを困ったものだと思って見ていたのですが、ふと、たった1本の木がこんなに多くの新しい命を生み出したと気付き、感動しました。
手放す
アウグスティヌスは自伝『告白』で、イエスを信じるまでの紆余(うよ)曲折を記しています。ある時、皇帝を褒めそやす演説のために宮殿に向かっていると、路上で物乞いが酔っ払って、冗談を言いながら大笑いしていました。自分は心にもないお世辞を言わなければならないのに、彼は大した努力もせず、ずる賢い仕事から得るうたかたの幸せを手にしていると思いました。それで成功のためにあくせくするのをやめました。しかし、情欲と性的不品行が、彼を捕えていました。罪と決別する決心無くしてイエスのもとには行けません。それで「わたしに貞潔と節制を与えてください、でも今すぐにではありません」と祈りました。
賛美の涙
母の最後の4カ月間をホスピスで介護して見送ったとき、そうできたことを神に感謝し、悲しみからの癒やしを祈りました。感情がもつれて賛美できない時もありましたが、母が息を引き取ると、号泣しながらも「ハレルヤ」とつぶやきました。こんな状況で賛美だなんてと罪意識もありましたが、後年、詩篇30篇を精読して教えられました。