Category  |  試練

隣人を愛しなさい

日曜学校でゲームをしました。隣人を取り替えず、今、隣にいる人を愛することを学ぶゲームです。まず、皆が大きな輪になって座り、1人だけが輪の中央に立ちます。立っている人は座っている人に「あなたは隣り人を愛しますか」と尋ねます。聞かれた人は「はい」か「いいえ」で答えて、自分の隣の人を別の人に交換するかどうかを決めるのです。

敵に燃える炭火を積む

ダンは看守に虐待されていましたが、この人を愛しなさいとイエスが命じておられると感じたので、ある朝、殴られる前に、こう言いました。「この先、一生、毎日、会うのなら、友人になりたいです」。看守はごめん被ると言いましたが、彼は「ぜひ!」と、友愛の手を伸ばしました。すると看守は固まり、震え出し、ダンの手をぎゅっと掴みました。彼の頬を涙がつたい、「ダン、私はロゾックだ。友だちになりたい」と言いました。その日を境にロゾックが手を上げることはありませんでした。

メール、トラブル、勝利

世情不安や治安の悪さ、不衛生も何のそのと、ジミーは世界の最貧国で働く宣教師夫婦のもとに出かけました。悪戦苦闘は地元の仲間に届くショートメールから分かります。「みんな、祈って! この2時間で10キロしか進んでいない……車は10回以上もオーバーヒートした」。車のトラブルで、聖書の話を待っていた人たちのもとに到着したのは日付の変わる直前でした。彼らは5時間も待っていたのです。次は興奮したメッセージが届きました。「驚くほど素晴らしい交わりだったよ。……祈ってもらうために12人ほどの人が前に出てきた。すごく力をもらった!」

今は空っぽ

私たち家族と弟たちは実家の引っ越しを敢行しました。午後遅くに最後の家財を運び出すと、もう戻ることはないと思い、裏庭のポーチで集合写真を撮りました。母が振り向いて「もう空っぽね」と言った時は涙がこぼれそうでした。この気持ちをどうすればよいのでしょう。54年間の家族の思い出が詰まった家が、今は空っぽなのです。私は考えるまいと、思考を停止させました。

イエスのために戦う勇気

西暦155年、棄教しなければ火刑だと脅されたポリュカルポスは言いました。「私は86年間、主のしもべだが、主に冷遇されたことはない。それなのに、なぜ今、私を救われた王を冒瀆(ぼうとく)することができようか」。私たちも迫害されたなら、この言葉に奮い立つでしょう。

悲しみと喜び

近しい人を1カ月の間に3人も亡くし、アンジェラの家族は悲しみに暮れていました。おいが突然亡くなった後、アンジェラと2人の姉妹は、3日間、台所の食卓にじっと座っていました。動いたのは、骨壷を買い、宅配の食事をし、葬儀に参列した時だけです。しかし、死を悼む間、喜びに浸る時間もありました。それは、末の妹のお腹で順調に育つ新しい命の超音波写真を見た時でした。

回復させる神

イタリアのフィレンツェで1966年11月4日に起こった大洪水により、有名なジョルジョ・ヴァザーリの『最後の晩餐』は、泥水と油の中に12時間も放置されました。額縁は損傷し、絵具も浮き出て、絵の修復は不可能に思われました。しかし、専門家とボランティアが、あらゆる障壁を乗り越え、地道な修復作業を50年間続けたことで、この大作は復元されました。

希望を持って

戦線の父の消息が途絶えた時、7歳の妹は母に言いました。「パパは帰ってくるわ。だって花を贈ってくれたもの」。父が出発前に手配していた妹の誕生日の花束が届いたのですが、妹は正しかったのです。父は悲惨な戦闘をくぐり抜けて生還しました。彼女は数十年経った今も、希望を持つことを忘れないように、その花束を生けた花瓶を大切にしています。

聞かれている

チャールズ・リボルグ・マンとジョージ・ランサム・ツイスは、1905年の著書『物理』で、「人里離れた動物もいない森で木が倒れた時に、音はするか」と問いました。それを発端に、音、認知、存在に関する議論が、哲学と科学の両分野で始まりましたが、今も結論は出ていません。