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驚くべき眺め

1年で聖書を!
◆ 詩篇33-34
◆ 使徒24
聖書のみことば 詩篇33:13-22
 
御住まいの所から地に住むすべての者に目を注がれる。―詩篇33:14

先日、コロラド州の自宅からグーグルマップを使って、20年前に家族で住んでいたケニヤの首都のナイロビ近辺を「散歩」してみました。私は、パソコンに表示された人工衛星の画像から、なじみの道や目印、建物などを見つけることができました。歩行者の目線で撮影された画像がある場所もあり、まるで、自分の足であの街角に立っているようでした。

誓約の力

1年で聖書を!
◆ ヨブ記36-37
◆ 使徒15:22-41
聖書のみことば 創世記2:18-25
 
それゆえ、人は……その妻と結ばれ、―マタイ19:5

私が身に着ける貴金属はふたつだけです。ひとつは結婚指輪で、もうひとつは小さなケルト十字のペンダントです。指輪は、妻のキャロリンに終生、節操を尽くすことを誓った証です。また十字架は、この誓いを立てたのは妻のためだけではなく、主イエスのためでもあることを忘れないようにするためです。死によって離れ離れになるまで、妻に誠実を尽くすように、私は主イエスに命じられています。

安らぎの場所

1年で聖書を!
◆ ヨブ記5-7
◆ 使徒8:1-25
聖書のみことば ローマ8:31-39

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
―マタイ11:28

私は体操教室に通っていますが、レッスンの中で一番楽しいのは最後の5分間です。そのとき私たちは、マットの上にあお向けになり、明かりを落とした部屋の中でリラックスします。あるとき、インストラクターは小さな声で「あなたの安らぎの場を見つけてください」と言いました。その言葉に聖歌475番「主イエスのみそばに」を思い浮かべました。

なぜなら

1年で聖書を!
◆ ヨブ記1-2
◆ 使徒7:22-43
聖書のみことば ヨブ記2

私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。―ヨブ記2:10

ある日、3歳の息子が大きな声で「ママ、大好き!」と言いました。私は、何が幼児にそう言わせるのか好奇心にかられて、なぜそうなのか尋ねてみました。すると息子は「いっしょにおもちゃの車で遊んでくれるからだよ」と答えました。その他に理由はあるかと聞くと、「ないよ。それだけ!」と答えました。私は、それを聞いてにっこりしましたが、同時に、私と神との関係を考えさせられました。私は、神が祝福してくださるから、神を愛し、神を信頼するのでしょうか。もし、その祝福が無くなったらどうするのでしょう。

言葉数は少なくても

1年で聖書を!
◆ エステル記1-2
◆ 使徒5:1-21
その恵みは私たちに大きく、―詩篇117:2

アブラハム・リンカーンのゲティスバーグでの演説は300語にもなりません。つまるところ、名演説に多くのことばは必要ないということでしょう。

ブルシャーク

1年で聖書を!
◆ Ⅱ歴代誌25-27
◆ ヨハネ16
聖書のみことば Ⅰペテロ4:12-19

愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、―Ⅰペテロ4:12

ミシガン湖でブルシャークに襲われた人がある、という話を昼休みに同僚たちがしていたので、その真偽を調べてみることにしました。実はみんな、そんなことがあるわけないと一蹴したのです。こんなに内陸の淡水湖にサメが生息するなど、ありえないと思いました。ところが、1955年にミシガン湖でブルシャークの被害があったと伝えているウェブサイトがありました。(しかし、裏付けはありません。)ミシガン湖でサメに襲われるでしょうか。もし、本当だったとしても、極めて稀な出来事でしょう。

本当の栄冠

1年で聖書を!
◆ Ⅰ歴代誌25-27
◆ ヨハネ9:1-23
聖書のみことば エペソ5:22-33

 
夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。―エペソ5:25

妻のマーティは子どもたちに、驚くほど大きな影響を与えました。母親ほど、自己犠牲的で無条件な忍耐と献身が求められる役目はありません。私の信仰や人格が、母によって形成されたこともまた、確かだと言えます。「妻」や「母」の存在がなかったら、私たちはいったいどうなっていたことでしょう。

立て看板

1年で聖書を!
◆ Ⅰ歴代誌16-18
◆ ヨハネ7:28-53
聖書のみことば ヨハネ1:14-18

 
あなたがたの互いの間の愛を、またすべての人に対する愛を増させ、満ちあふれさせてくださいますように。―Ⅰテサロニケ3:12

アイダホ州ボイシからそう遠くない山間部の小さな村で、牧師をしている友人がいます。この村は緑豊かな渓谷沿いにあって、美しい小川がくねくねと流れています。その小川は、教会の敷地のすぐ裏にも来ています。教会と小川の間には、柳の並木と芝生道があり、その向こうは砂の岸辺です。そこは牧歌的な風情をたたえた場所で、村人たちは長い間、ここでピクニックを楽しんできました。

疑わしきは罰せず

1年で聖書を!
◆ Ⅱ列王記13-14
◆ ヨハネ2
聖書のみことば Ⅰコリント13

 
[愛は]すべてをかまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。―Ⅰコリント13:7

トーマス・インマン医師は1860年、効き目が確かでないなら、その薬は処方しないほうがよいと提言しました。つまり、患者は医師の疑念によって益を受けるべきだと言ったのです。このときに使われた英語のフレーズ(benefit of our doubts)は「疑わしきは罰せず」という刑事訴訟の原則を表すためにも用いられています。裁判官もしくは裁判員が、被告の犯罪事実の存否について確信に達しない場合は、無罪判決を言い渡さなければならないというものです。