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黄金律

自分がしてもらいたいように他の人にしてあげなさいという教えは黄金律で、多くの宗教で語られています。しかしイエスの独特なところは、今日の聖書のみことばの「それで」にあります。イエスはまず、天の御父の寛大さを表されたのです。

ばあ!

赤ん坊の親はよく、「いないいない、ばあ!」をして我が子と遊びます。パパは両手で顔をおおうと、「ばあ!」と言う声とともに突然顔を出して、子どもを驚かせます。すると子どもは、この「恐ろしさ」を面白がってケラケラと笑います。

偏見はもういらない

ニューズウィークが行なった2010年の調査には、驚きの結果が含まれています。企業の採用担当者の57%が、容姿のさえない求職者は要件を満たしていても採用されにくい、と考えています。企業の人事課長の84%は、要件を満たしていても年齢が高い人を採用しようとすると、自分の部長は良い顔をしないと言います。彼らの64%は、外見で人を採用してもOKだと思っています。これらすべては、明らかに偏見であり間違っています。

イエスの愛

あまりないことですが、一日に3度同じ歌を聴きました。まず、昼過ぎに高齢者施設の合唱クラブに出席しました。祈って集会を終わろうとすると、入所者のウィリーが、「『主我を愛す』をいっしょに歌ってください」と言いました。夕方にはユースグループの集会に出席しました。そこで青年たちは、手拍子をしたり、足を打ち鳴らしたりして同じ曲を歌いました。その夜遅く、携帯電話にメールが届きました。メールには添付ファイルがついていて、それを開くと、2歳半になる姪の娘が可愛い声で「主は強ければ、我弱くとも…」と歌っていました。その日、90代、10代、そして幼児が、ひとつの歌を歌っていました。

愛の力

指導力について書かれた本がベストセラー入りをすることはよくありますが、そのほとんどは、どうすれば強い影響力を持った指導者になれるかという指南書です。しかし、ヘンリ・ナーウェンは「イエスの御名で ~ 聖書的リーダーシップを求めて」で、指導力について違う視点で書いています。著者は元大学教授ですが、成人の発達障害者施設で数年間働いていました。そしてこう書いています。「問われるべきは、どれだけの人間があなたに耳を傾けるか、どれだけのことを達成できるか、結果を出せるかではありません。あなたはイエスを心から愛しているか、なのです。…孤独と絶望に満ちた世の中で、神の心を分かっている人が本当に求められています。神の心とは、赦したり、心配したりする心です。手を差し伸べ、癒しを求める心です。」

無限の愛

子どもの頃、新聖歌31番がよく歌われていました。「大空紙とし、海原墨とし、木の枝筆とし、世人を集めて、主の愛記さば、紙も足らじ。」

真実の愛

弟の結婚式のリハーサルのとき、牧師の前で向き合っている新郎新婦の写真を撮りました。その写真を後で見てみると、後ろの金属製の十字架にフラッシュが反射して、明るい光が新郎新婦の上に降り注いでいました。

暴露したい心

アメリカの私立探偵は、ドアを叩いて出て来た人にバッジを見せ、「私たちがここに来た理由をご説明する必要はありませんね」と告げるそうです。大抵の場合、相手は唖然として「どうやって分かったんだ」と答え、ずっと昔に犯し、隠しつづけてきた昔の犯罪について話し始めるそうです。ロン・ロゼンバウム氏は、スミソニアン誌に次のように記しています。「良心とは人間の根幹にあるパワーだ。心は隠しごとを暴露したくてうずうずしている。このエネルギーに出口を与えればよいのだ。」

愛と支援

発展途上国の孤児院で働く友人からメールが来ました。「昨日、事務所で仕事をしていると、蟻が床で列を成しているのに気づきました。その列をたどっていくと、何と私たちのいる建物の壁が外側も内側も何万匹もの蟻でおおわれていました。蟻はそこらじゅうにいましたが、幸いにも職員のひとりが駆除を買って出てくれたので、一時間もたたないうちにいなくなりました。ところで、あなたは、お元気ですか…。」