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31日間の感謝日

米国で使用されている多くのカレンダーを見ると、1月は全国感謝月間です。感謝の気持ちはどこにいても大切ですから、世界感謝月間にすべきかもしれません。

ものごとの楽しみ方

ジョン・ホワイト博士は著書「Daring To Draw Near」の中で、自身の胸中について語っています。ぜいたくな庭や調度品のついた素晴らしい家が与えられたとき、その家に対する思いが色々と変化していったといいます。

神の計画

神を愛する友人のリンダは、医療伝道を志していました。医者として主に仕え、医療体制が整っていない地域に出て行って、病気の人たちに福音を届けたいと願っていました。しかし、神には別のご計画がありました。リンダは確かに、病人に福音を伝える伝道師になりましたが、その形は、彼女が考えていたものではなかったのです。

褒める

最近、20万人の労働者を対象に、自らの生産性を向上させるために何が必要かというアンケート調査が行われました。その中で、上司に要望することがらの第一位だったのは、褒めることと認めることでした。この調査は、褒められることや認められることが、人間の基本的欲求であることを示唆しています。

祝福されすぎ

マイカー通勤の時間が長いので、さまざまなバンパーステッカーを読む機会あります。無愛想なのもあれば、才気あるものもあります。不愉快なものもあります。しかし最近、自分の生きる姿勢について、そっと諭してくれるようなバンパーステッカーに出会いました。そこにはただ「祝福されすぎて文句が言えない」と書かれていたのです。

忘れないで

物質的な豊かさを罪悪視して、物を所有すること自体が悪だという考え方に、私は賛成できません。また、自分には消費者的志向があることも認めざるをえません。私は、個人的な感情で「欲しいもの」を「必要なもの」にしてしまう誘惑にしばしばかられます。

欲張りな 鳥たち

毎年、ハチドリのためにえさ場を作ってあげます。すると、せわしない小鳥たちがやって来て、えさ場を取り合います。「テーブル」には4つの席を設けてあるのですが、彼らは先客の席が気になるようで、それを横取りしようとしてけんかになります。それぞれの「席」には、下にあるひとつの容器から同じシロップが提供されています。すべての席に同じ食べ物があるのですから、私は、この鳥たちの強欲な負けん気にあきれるばかりです。

愛すことが難しいとき

昔のことになりますが、反抗的な少年たちのキャンプのカウンセラーを務めたことがあります。ふれあい動物園の動物をいじめたり、お互いの間で取っ組み合いの喧嘩をしたりするのです。私は、冷静かつ毅然とした態度で彼らを指導しました。いらいらさせられることは多々ありましたが、彼らの物質的なニーズは必ず満たされるように、心を配っていました。

私の姿は、はた目には親切で優しく見えたでしょう。しかし、心の内は穏やかでなく、「我慢してやっている」と感じていました。このような状況で祈っていて、私は、いつくしみ深い天の父が、反抗的な子どもたちのために日々の必要を満たしてくださっていることに気づきました。パウロは、エジプトを脱出したイスラエル人の生活について、「(神が)約四十年間、荒野で彼らを耐え忍ばれました」と語りました(使13:18)が、この「耐え忍ぶ」と訳されたギリシャ語はたぶん、感謝しない相手に忍耐して必要なものを与え続けたという意味でしょう。

心配して世話をしてあげても感謝せず、むしろ反抗的な態度をとる人に会うかもしれません。そんな時には思い出しましょう。神がどれほど我慢してくださっているかを。それだけではありません。神は私たちに聖霊をくださいました。聖霊は、好きになれない人や恩知らずな人にも愛をもって応答できるように、助けてくださいます(ガラ5:22-23)。

愛すことが難しい相手を愛せるように、主よ、どうかあなたの忍耐をお与えください。

すべてのことに感謝する

私の娘は重いピーナツアレルギーで、ほんの少し口に入れただけでも生命にかかわります。そこで私たちは、食品の包装ラベルを綿密に調べ、どこに行くときも、アレルギー処方薬が入った注射器を持参します。外食をするときは、前もってレストランに電話し、メニューの品目についてしつこく尋ねます。

このように用心していても、娘の安全が守られる保証はありません。私は、こういう状況に感謝することはなかなかできません。しかし、神のみことばは「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(Ⅰテサ5:18)と、チャレンジを与えます。神は私たちに感謝の心で祈って欲しいと語られるのです。それは、未来が不確かでも、悲嘆に暮れることが起こっても、家計が苦しくてもです。言い訳はできません。

苦境の中で感謝するのは容易ではありませんが、不可能でもありません。ダニエルは自分の身の危険を知りながら、「神の前に祈り、感謝して」いました(ダニ6:10)。ヨナは魚の中で、「感謝の声をあげて」叫びました(ヨナ2:9)。ふたりの例、さらには、神はすべてのことを働かせて益とし、ご栄光を現されるという聖書の約束(ロマ8:28)は、すべてに感謝できるように、私たちを鼓舞してくれます。