ただ神を拝する
ホセは良いイベントで有名な教会の牧師でしたが、忙しい教会活動が、商業的になっていないか心配でした。そこで、教会が健全な理由で成長しているのか、またはイベント頼みなのかを確かめようと一年間、これらの行事を廃止しました。そして神を礼拝する生きた宮になることに専念しようと教会を励ましました。
見た目以上に
馬上から投げ縄をするロデオ競技を観戦すると、片手が4本指で、親指の場所がこぶのようになっている選手を見かけます。これはロデオではよくあるけがの結果です。親指にロープが巻きついた状態である程度の大きさの牛に引っぱられると、親指を失ってしまうのです。選手生命が奪われるほどではありませんが、親指を失うと生活が変わります。親指を使わずに、歯磨きや、シャツのボタンを留めたり、髪をとかしたり、靴の紐を結んだり、食べたりしてみてください。親指が重要な役割を果たしていると分かります。
様々な世代
私の両親は世界恐慌のただ中の1933年に結婚しました。私たち夫婦は第二次世界大戦後の団塊の世代です。4人の娘たちは70年代、80年代に生まれ、ジェネレーションXとかYとか呼ばれる世代です。私たちは皆、クリスチャンですが、違う時代に育ったので人生経験や価値観は当然異なります。しかし、ファッションや音楽の好みは違っていても、私たちの霊によるつながりは違いを超えます。
共同体を作る
コミュニティーすなわち共同体とは、一番苦手な人が必ずいる所だとヘンリ・ナウエンは語ります。私たちは馬が合う人たちに囲まれてやって行こうとしますが、それは仲良しクラブで共同体ではありません。仲良しクラブを作るのは簡単ですが、共同体を作るためには、思いやり、共通のビジョン、そして労苦が不可欠です。
いっしょに歩もう
ディズニーランドの人気アトラクションの列に並んでいたとき、ほとんどの人が、長い待ち時間でも不平を言わず、笑顔で談笑していると気づきました。行列で待っていることの何がそんなに楽しいのでしょう。疑問を解く鍵は、ここにひとりで来ている人がほとんどいないことです。彼らは、家族や友だち、グループやカップルで、同じ体験を共有しています。だから、ひとりで列に並ぶのとは大違いなのです。
務めをいつも果たす
◆ ミカ書1-3
◆ 黙示録11
ショッピングモールのフードコートで食事を終えて、子どもたちがゴミを捨てに行ったとき、長男が誰かにぶつかりかけました。その人の様子が変だったので、下の息子は「彼は、何かを盗んだのかもしれないよ」と冗談半分に言いました。私は、良いしつけの機会かもしれないと思って、「そういうことを聖書では『さばく』というんだよ」と言いました。すると息子は笑って「パパは、休みの日も牧師なの?」と質問しました。私は大笑いしましたが、その後で、私は常に息子たちの「羊飼い」で、休暇を取ることはないのだと話しました。
戦いのパートナーになろう
◆ 箴言25-26
◆ Ⅱコリント9
イスラエル人がペリシテ人と戦っていたときのことです。サウル王がざくろの木の下で部下と休息していると、ヨナタンは、武具を担ぐ従者をつれて、そっと陣営を離れました。彼は「さあ…渡って行こう。たぶん、主がわれわれに見方してくださるであろう。大人数によるのであっても、小人数によるのであっても、主がお救いになるのに妨げとなるものは何もない」と言ったのです(Ⅰサム14:6)。