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押入れを片づける

部屋を片付けてきなさいと言う母の声を、今でもはっきり覚えています。私は仕方なく部屋を片付け始めますが、しまうはずのマンガを手に取って読み始めます。ところがそれもつかの間、「5分後に部屋を点検するわよ」と言う母の警告が聞こえてきて、私は片付けを再開します。そんなにすぐきちんと片付けることはできないので、私はどうしてよいか分からない物を全部押入れに隠し、ベッドを整えて、押入れの点検がないことを願いながら母が来るのを待つのです。

不確かな時に

数年前、不況にあおられて多くの人が失業しましたが、悲しいことに、私の義理の弟もそのひとりでした。妹が状況をメールしてきましたが、先は見えないながらも、心は平安だと言っていました。神が自分たちのことを気にかけてくださっていると分かっているから、ということでした。

心臓が大切

私たちの心臓は毎分、70回から75回拍動しています。心臓の重さは平均300グラムしかありませんが、健康な心臓は、毎日8,000リットルの血液を全長10万キロの血管に流しています。心臓が一日に生み出す動力は、トラックを30キロ走行させる動力に匹敵します。一生に換算すると、それは、地球と月の間を往復するに必要な動力と同じです。健康な心臓はすごい働きをします。逆に心臓の機能が不全になると、身体は死んでしまいます。

心の食べ物

私は食べることが大好きです。きれいに盛りつけられた料理を見るのも、それを味わうのも大好きです。好きなだけ食べたら、どんどん太ってしまうでしょう。ですから、健康に良いものを適切な分量だけ食べるようにと、妻が優しく諭してくれるのはありがたいことです。

水のある所

東アフリカは地球上で最も乾燥した地域ですから、ケニアの首都の「ナイロビ」という名前は、大きな意味を持っています。この名前の由来は、マサイ語の「冷たい水」という言葉です。また、文字通りの意味は、「水のある所」です。

父のことばを覚えていた

ジム・デビッドソンはレーニア山を下山中、スノー・ブリッジが崩れてクレバス(氷の壁のひび割れ)に落ちました。暗い氷の壁の狭間に傷だらけで立っていると、子どもの頃の思い出がよみがえってきました。逆境に負けずに突き進めば、大きなことを達成できると、何度も語ってくれた父親のことです。その言葉がその後の5時間、ジムを支えました。不十分な装備で切り立つ氷の壁を這い上がり、暗黒の世界から生還したのです。

誰でも歓迎

市街地の再生整備計画の一環で、1930年代に建てられた教会の取り壊しが決まりました。人のいない教会堂の窓が取りはずされ、ブルドーザーが来て壁に穴を開けました。こうして会堂の解体は始まりましたが、いくつかの扉はしばらく残されたままでした。その上には「立入禁止!」の文字が、オレンジ色の蛍光ペンキで大きく書かれていました。

みことばを食べる

欽定訳聖書の翻訳で有名なジェームズ王は、この聖書が印刷された時期に、公式祈祷文をも編纂(へんさん)するように命じました。この祈祷文は今日でもとりなしの祈りを導いたり、礼拝の司式をする文書として用いられています。ここには礼拝者が聖書のみことばを内在化させる助けになる祈りが記されています。「祝福されたる主。聖なるみことばを記させて、私たちに学ばせてくださるお方。どうか私たちを助けてください。わたしたちが、みことばを聞き、読み、心に刻み、学び、消化することができますように。しっかり頑張れますように。そして主のきよいみことばによって、永遠のいのちを授かる祝福された望みをしっかりと抱きしめることができますように」と書かれています。

昔、預言者エレミヤも同じような祈りをしました。みことばによって心に栄養を与えてくださいと、次のように祈ったのです。「私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。万軍の神、主よ。私にはあなたの名がつけられているからです」(エレ15:16)。私たちは、聖書のみことばを「読み、心を込めて学び、深く味わって魂の養いと」することで、自分のものにしていきます。

みことばを自分のものとして適用できるよう、今日祈りましょう。みことばのミルクや肉をしっかりいただく時間をとりましょう(ヘブ5:12)。心を静めて向き合えば、神は聖書を通して、ご自身について教えてくださいます。

葛藤から生まれた歌

ジャック・ホワイトは、名ギタリストたちを追ったドキュメンタリー映画の中で、曲を作るときの必須条件について、「自分の内面や自分の周りに葛藤がないのなら、それを作らなくてはならない」と語っています。

心の奥底にある思いを言葉にしてくれる歌は、私たちにとって大切な歌となります。詩篇はよく「聖書の歌」といわれますが、これらはみな葛藤の中から生まれました。それは、私たちの失望や恐れなどをうまくとらえる一方で、私たちの心を神の真実の愛に向けさせてくれます。

ダビデは詩篇31篇で「私をあわれんでください。主よ。私には苦しみがあるのです。私の目はいらだちで衰えてしまいました。私のたましいも、また私のからだも」(9節)と書きました。彼は自分にしかけられた罠(4節)、自らの罪(10節)、友の離反(11-12節)について語り、命をねらわれているとも述べています(13節)。

しかし、ダビデの希望は自分の力ではなく神の力にありました。彼は、「主よ。私は、あなたに信頼しています。私は告白します。『あなたこそ私の神です。』私の時は、御手の中にあります。私を敵の手から、また追い迫る者の手から、救い出してください」と祈ります(14-15節)。

詩篇はあなたの心情を神に注ぎ出すよう勧めています。神は、ご自分を信頼する人たちに施す慈しみを十分に備えておられるのですから(19節)。