Month: 8月 2013

見下ろす

ちょっとした目の手術を受けたときのことです。看護師に「術後2週間は下を見ないでください。料理も掃除もダメです」と言われました。下を見ることで切開部に圧力がかかり、傷口が開いてしまわないようにと看護師はそのように言ったのですが、下を見ないというのは案外難しいものです。

祝福された望み

世の終わりに関するたくさんの予言が、出ては消えていきます。そうした予言は、人々に不安と恐怖を与えます。一方、聖書は、主イエスが再臨される「主の日」と呼ばれるときがあることを伝えています。その日はやってきますが、それがいつなのかは、神だけがご存知です。

誠に申し訳ありません

ニュースは、スポーツ選手が飲酒運転で検挙されたり、政治家が破廉恥な行為を暴露されたりなどという有名人の不祥事が起こると、その事件の内容と本人の謝罪会見などをいち早く報じます。神妙な顔つきで「誠に申し訳ありません」と言っているのを聞いても、本人の心の中は神だけにしか分かりません。本当に反省しているのか、運悪く捕まってしまったと思っているのか、いったいどちらだろうと思ってしまうこともあります。

あわれみの力

作家であり、キリスト教の弁証論の著名な学者であるフランシス・シェーファーは、難読症という学習障害の持ち主でした。そのため、単語を正しく綴ることができません。大学の成績もふるいませんでした。試験やレポートを書くと、いくつもの単語の綴りを間違えてしまうからです。大学一回生のとき、ある教授が言いました。「この哲学の論文は、今まで読んだ中で最も素晴らしいものだ。しかし、綴りの間違いは最悪だ。君に合格点はあげられない。本当に困るね。」

確かな居場所

父はふるさとの思い出をたくさん話してくれました。子どもの頃は、毎年夏になると帰省する父に連れられて、わくわくしながら家族で出掛けて行き、そこで休暇を過ごしました。父と一緒にセントジョセフ川で釣りをしました。また、父が少年時代を過ごした農場を訪れると、父から聞いていた話の数々が鮮明によみがえってきて、それらを追体験することができました。今でも子どもや孫たちと一緒にそこを訪れることがあります。その場所は、私のふるさとではありませんが、自分の居るべき場所のような、懐かしい気持ちになります。

窓に映るもの

アラスカで休暇を過ごしましたが、移動中の車の窓からたくさんの風景を見ました。暖かく、雨や霧に濡れることもない車内から、美しい景色を見ることができるのは感謝なことです。しかし、窓ガラスには課題もあります。雨が降ると、窓にしたたる水滴で視界がぼやけます。また、気温の変化によって窓の内側に結露ができ、外が見えづらくなるのです。

幼いころから

去年の夏、私たちの教会はカレブという若者を副牧師のひとりとして招聘(しょうへい)しました。カレブ牧師はコスタリカ育ちで、家族はそこで神に仕えるクリスチャンです。彼はテモテへの手紙第二3章14~17節を引用しながら、自分の生い立ちを語り、幼いころから聖書に親しんでいたと言いました。父も母も、彼に聖書の真理を教えました。聖書が彼に、「知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救い」(15節)へ導いてくれたのだといいます。カレブは、牧師になるための準備は子どものときから始まっていたと感じていました。

綱引き

近所の書店が模様替えをしたというので足を運んでみると、宗教書コーナーには、占いやオカルトなどの本が増えていました。この書棚を見ていると、まるで光と闇が綱引きをしているようです。通路に面して片側にキリスト教関連の本が、反対側にオカルト関連の本が並んでいて、その数はほぼ同じです。

見えない80パーセント

地球上のすべての生命体の80パーセントは、海に生息しているという話を聞いて驚きました。ほとんどの生き物は、私たちの目が届かない場所で生きているというのです。しかし、それならば、神の創造は私たちが見て楽しみ、感謝している以上に素晴らしいものだということになります。私たちは雄大な山脈、大海に沈む夕日など、壮大な美しさに感激し、神の創造をたたえます。一方で、神の創造がいかに繊細かについては見落としがちです。なぜなら、それを知るには、緻密な研究と調査が必要だからです。海に隠されているという大多数の被造物だけでなく、私たちの目には小さすぎて見えない被造物もあります。顕微鏡なら見える小さいものから、まだ発見されていない宇宙まで、すべてが私たちの創造主の御業です。すべてのくすしい御業は、人の目に見えるものも見えないものも、創造主であられる神の栄光を現しています(ロマ1:20)。